芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

「オリオン」36号を読む。

 昔、ちょっとお付き合いした、といっても大昔だった。私がまだ三十代だった頃に同じ詩のグループとして付き合った人たちが運営している詩誌なので、拝見した。これが縁というものか、楽しいひとときを過ごした。

 

 「オリオン」36号  編集人 松川・東川 2020年9月23日発行

 

 まず東川絹子の詩とエッセイ、編集後記を眺めてみる。詩作品に関して言えば、先日この「芦屋芸術」のブログでも書いているが東川絹子詩集「ぼくの楽園」(編集工房ノア、2020年9月4日発行)に発表された作品二篇(「ぼくの楽園」、「正体」)を含む六篇で構成されている。全体的に薄明のような喪失感が漂う詩群だった。喪失感? そう、どう言えばいいか、ちょっと大袈裟な言い回しになってしまうが、命の根源から別離して今・ここに立っているような、そんな薄明のような喪失感だった。

 一方、松川紀代の作品は、私の胸に、何故か、悲しみのようなものを与えてくれた。未来は消え、現在と過去、過去と言ってもトテモ遠い過去との間を、ふわふわ行ったり来たりして、我知らずボソボソ出てくる断片の言葉を紡いでいる。今後、その傾向は一層強くなり、良い意味で純化された徘徊老人詩集へと結晶していくのだろうか。

 時間は容赦しない。容赦なく迫る。東川絹子の言葉も松川紀代の言葉も、言ってみればこの容赦しない時間を純粋に表現せんとした世界かも知れない。そういう意味で、森沢友日子の作品も、迫る時間を表徴する。

 

    痒い耳       森沢友日子

 

  耳が痒い、と思う。

  毎日のように痒いので、その都度ペン立てに入れてある耳かきを

 使う。少しでも大きな成果があれば嬉しいが、どういう訳か最近の

 ように頻繁に耳を掻いていると、出てくるものは殆どない。

  以前耳鼻科を受診したとき、耳の奥をカメラで見せてくれたが、

糸くずのようにふわふわした白いものが積もっていた。

 幼いとき母の膝に頭を横向きに預けて、掃除してもらった。

 あの幸せな記憶は、小さな玉手箱のように心の奥に潜めて、なに

かの折にそっと覗いて満足するのだ。

 母の思い出の中の底のほうに、藻のように揺れてしっかりつなが

っている。(本書22~23頁)