芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

作品集「た」について

この作品集は1987年3月1日に発行されたものです。
前著「黙礼」からおおよそ3年が過ぎています。全体は7編で構成されています。
今回はその中で比較的短い「寒冷」という作品をご紹介します。

寒冷

この寒冷の気配はいったいどこからやってくるのだろうか。黒漆の椀を伏せたような室内には窓もなく出入口もなく、冬の外気の忍び込む隙間なぞまったく見当たらない密室だといえた。それならば肉体のどの部分がこんな寒冷の感情を知覚するのだろうか。確かに椀を伏せたような黒漆の壁に囲まれた室内には三個の人体が。

第一の人体は鋼製の椅子に坐っている。椅子に坐って壁にかかった窓の絵をじっと見つめている。窓からは水平に走る真昼の舗道が眺望された。わたくしが舗道から暗い窓の内側を覗いた時には、ちょうど彼の腰から下の両足と椅子だけが真昼の陽光を浴びて硝子越しに観察された。

第二の人体は部屋の片隅に置かれた寝台に腰をおろしている。両手を胸の前で組み合わせ、顎を落として頭髪を垂らした姿は、なにかを一心にこらえているのに違いなかった。けれどもこの男にとってなにをこらえているのかは問題にさえならなかった。つまりなにかをこらえている自らの位置に、覚えず恍惚として留まり続けているばかりだった。その証拠には、時折この男は寝台の上で腰をもぞもぞ蠢かせ、あるいは下半身をぴくりと引き攣らせているのだから。

第三のそれは言うまでもなく一個の女体である。彼女は椅子と寝台との間に置かれたテーブルの上に坐っていた。第一の彼、第二の男と同様に暗い室内ではやはり腰から上は定かではないが、テーブルからぶらさがったハイヒールによってそれは女体だと結論された。床には黒いストッキングが脱ぎ捨てられている。足もとから膝頭の辺りまでの素肌が暗がりに浮かんでおり、大腿部から先は黒漆の室内に消えている。

いっせいに三個の人体が立ちあがった。第一の彼の両足は椅子の上、第二の男の両足は寝台の上、第三のヒールをはいた女体の素足はテーブルの上に。すると窓の絵が壁からはがれ落ちて、いきなりわたくしは真昼の舗道から硝子の破片の散らばった黒漆の床へと倒れ込んだ。

わたくしはこの直後に起こったことをあなたには語るまい。わたくしたちがおたがいの肉体を確かめあい、分解して交換しあったことを。寒冷がやって来た。あなたとわたくしと彼・彼女そして第二の男との離れがたい快感が支配している、窓もない出入口もないこの黒漆の椀を伏せたような室内において。