芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

アドルフ・ヒトラーの「わが闘争ー国家社会主義運動」

 私の勘違いではなければ、私達の住んでいる現在の日本においては、思想・信条の自由な社会に生きているので、基本的には、さまざまな世界観があって、各自さまざまな人生を楽しんでいるのだ、私はそう思っている。だが、この本の著者は、このように主張する。

 

 世界観というものは、決して他の世界観と並存しようとする意志はない(本書112頁)

 

 つまり、この本の著者は、自分の選択した世界観が絶対であって、他のいかなる世界観とも並存しようとする意志はなく、むしろ他の世界観を弾圧・排斥する。事実、著者は「突撃隊」というボクシングや柔道で鍛えられた部隊を編成し、他の世界観で著者に対立・反抗する人間を叩きのめす。彼は正義だから、反対者が血を流すのは当然だろう。

 さらに、著者はこのように主張する。

 

 最も神聖な人権はただ一つあるだけである。そして、この権利は同時に最も神聖な義務である。すなわち、それは最もすぐれた人類を保持することによって、人類のより尊い発展の可能性を与えるために、血を純粋に保つように配慮することである。(本書47~48頁)

 

 著者の言を借りれば、最もすぐれた人類は、ゲーテやシラー、それに恐らくニーチェ、彼等文化の天才が出現したアーリア人種―ゲルマン民族―ドイツ人だ。従って、この優良民族の自己保存のために、新しい領土を獲得し、食糧を増産し、さらにドイツ民族の増殖・自由・文化・繁栄をめざして武器をとるのが、神聖な権利であり、義務だった。ドイツ民族の平和・繁栄のためには戦争が必然だった。

 

 「わが闘争(下)Ⅱ国家社会主義運動」 アドルフ・ヒトラー著 平野一郎、将積茂訳 角川文庫 平成22年7月10日改版13版

 

 この本の著者は、演説が重要だと口を酸っぱくして説く。歴史を変えるのは演説だ! 確かどこかでそう言っていたと記憶する。実際、著者ヒトラーは演説の天才だったのだろう。この本はヒトラーの口述筆記だから、読者は延々と続く彼の長広舌を傾聴している気持にきっとなるだろう。特に、ユダヤ人に対するヘイトスピーチをドン!と卓を叩き、口角泡を飛ばし、髪を振り乱して絶叫するとき、読者はすこぶる興奮するかも知れない。非アーリア劣等人種ユダヤ! マルキスト、反民族主義国際主義者! 破壊する、必ず、ひとり残らずドイツ民族が破壊してやる! 興奮の余り、君はキッチリ洗脳されるかも知れない。読者よ、マジで、気をつけな。

 著者の主張する「国家社会主義」は、わかりやすく言えば、ただひとりの英雄がドイツ民族を支配し、すべての国民が彼に絶対服従する、英雄独裁によって成立する。従って、言うまでもなく、資本主義社会によって歴史上初めて成立した議会制民主主義は破壊されるのだった。

 ここのところを、もう少し一般化するため簡単な哲学用語を弄すれば、ヒトラーの演説する国家社会主義国家は、独裁者が主体で、人民が客体だと言っていい。主体が理念であり精神であり意志であって、客体は疎外され物化され奴隷化する。さらに客体は世界的視野から見れば、アーリア系と非アーリア系に二分割され、非アーリア系や対独レジスタンスなどは奴隷労働者として強制収容され、老人や子供や就労不能者は焼却炉で焼却処分されたのは、本書「わが闘争」出版以後の著者ヒトラーの足跡をみれば、歴然している。

 読者よ、「わが闘争」から目を背けるな。