芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

「セサル・バジェホ全詩集」を読む。

 過日、ホルヘ・センプルンの「ブーヘンヴァルトの日曜日」という本を読んでいると、センプルンおすすめの三人の詩人が出てきた。そのうち二人の詩人、それはルネ・シャールとパウル・ツェランだが、そして私は既にある程度まで彼らの作品は目を通していたが、三人目の詩人に関してはまったく無知だった。気になって仕方なかった。いったいどんな詩を書いているのか、読みたくってウズウズし出した。もうたまらない、ネットで探し、その未知の詩人の本を買ってしまった! まあ、いつものことなんだが。

 

 「セサル・バジェホ全詩集」 セサル・バジェホ著 松本健二訳 現代企画室 2016年7月31日初版第1刷1000部

 

 確かスペイン内戦が終わった一九三九年、ホルヘ・センプルンは十五歳の時、共和国側だった両親に連れられてパリに亡命している。一方、この本の巻末の訳者の丁寧な解説を拝見すれば、ペルーの三千メートル級のアンデス高原に生まれさまざまな経験の果てに三十歳を超えてからヨーロッパに渡った詩人バジェホは、パリで共産主義者に変身、スペインの内戦では共和国側を支援している。時間はとても非情である。バジェホはスペイン内戦の終結を知らず、一九三八年四月十四日、四十六歳で詩人としては無名のまま病没した。その四年後、一九四二年ソルボンヌ在学中スペイン共産党に入党したセンプルンはナチス・ドイツへのレジスタンスの活動家になる。翌43年、ナチスに逮捕されセンプルンは強制収容所に収容されるのだが、このあたりは「ブーヘンヴァルトの日曜日」を一読されたい。

 また私の悪いクセが出てしまった。横道にそれてしまった。しかしご覧の通り、一八九二年生まれのバジェホと一九二三年生まれのセンプルンの感性の共通性を、垣間見るようではないか。センプルンがバジェホに惹かれたのも、古いものにしがみつかない姿勢、抑圧するものと身を賭して戦う姿勢、少なくともこう言った生き方の姿勢から発語されたバジェホの言葉をセンプルンは愛したのではなかったか。

 話はどんどん変な方向に流れていくが、上述したとおり、バジェホの詩には古いものにしがみつかない姿勢、しかもトコトン強烈な姿勢がある。過激な言葉の組み合わせがある。従って、読んでいてもさっぱりわからないだろう。むしろ、詩と一口に言っても、わからないものをわからないものとして明確に表現する詩もあるのだ、読者はそれが明確にわかるだろう。

 

 そして人は……哀れ……哀れ! 背後から

 肩を叩かれ その気が触れた目を

 振り向けてみれば 生のすべては

 罪の溜まりのごとくその眼差しに澱む(「黒衣の使者ども」第四連、本書8~9頁)

 

 どうだ。意味不明だろう。しかし、ちょっと言葉の魅力を感じはしないか? 先に進もう。

 一九二四年、バジェホは腸の手術のため入院する。その時書かれた比較的長い散文詩の第一節と最終節を引用する。

 

 第一節

 窓が震えて宇宙の形而上学を織り成す。ガラスは粉々だ。病人が文句を言う。半分は彼のヒラメじみた過剰な口から全体としては背中の尻の穴から発せられる。(本書188頁)

 

 最終節

 生の世界にはなにも残らず、死の世界では生の世界に残ることができたもの以外のあらゆることが無理ならば、主よ、死ぬのは楽しいことではない!(本書191頁)

 

 この最終節を三度リフレインしてこの比較的長い散文詩は終わる。どうだ。わからないだろう。わからないけど、わからないなりに魅力的だろう、まったくわからないチンプンカンプンだけれど、どこかいいじゃん、そうは思わないか? ヨシ。じゃあ、先に進もう。

 バジェホがスペインの内戦から持ち帰った言葉が、彼の死後、一冊の詩集になった。書名は「スペインよこの杯を我から遠ざけよ」。全十五篇で構成されているが、そのうちの一篇、「共和国の英雄に捧ぐ短い祈り」の最終三行を引用してみる。

 

 そして私は万感の思いを胸に一冊の本を見た

 一冊の本が 一冊の本が後ろから 一冊の本が上から

 死体から予告もなく芽を吹いた(本書337頁)

 

 読者よ、わからないだろう。とどのつまり、わかりっこないだろう。だが、決してわかろうとなんてするな。卑しい根性を出すな。わかった顔をするな。君にも人生にわからないことがあるのを喜べ!