芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

山之口貘を読む

 ボクの仕事のパートナーでもあったワイフが二年前の七月に永眠して、それからほぼ一年後、彼女とふたりで設立した会社の代表者をボクは辞任した。これでひとまず過去と別れて悠々自適の独身生活か、と思いきや、去年の7月19日、彼女が亡くなって丁度一年目、高校時代からずっとお付き合いしていたお友達から相談があって、ある作品を依頼され、ボクには不得手な長い文章で、書くのに四苦八苦。けれど、完成にはまだ一年くらいかかるかもしれない。そんなわけで、悠々自適から憂々字敵に。

 午前中は事務所に出て二時間前後仕事をして、自宅でインスタントラーメンまがいの昼食を食べ、依頼された作品の完成をめざして文章を書いたり、息抜きにギターを弾いたり、酒を飲んだり、そんななか、本を読んだ。

 

  山之口貘全集四巻(1975年7月19日~1976年9月19日発行、思潮社)

 昔買った本だが、第一巻の詩と、第二巻の小説を半ばまで読み、本棚で眠っていた。彼等は数十年の眠りから覚め、すべてのページがボクの眼前に開かれた次第。山之口獏についてあれこれボクが語るより、もう既にさまざまな人がこのルンペン詩人とも貧乏詩人とも言われた彼を語っているのでそれらを参考にして欲しい。

 彼は明治三十六年九月十一日に那覇で生まれ、二十歳前後で東京に流れて、昭和三十三年、五十五歳になって三十四年ぶりに沖縄へ二ヶ月ばかり帰郷するのだが、彼が沖縄について語った文章がすべて第4巻の巻末にまとめて掲載されている。これらの文章を読んでいると、山之口貘という詩人の原風景が眼に浮かび、彼の詩の入門書になるばかりではなく、沖縄と呼ばれる島々を理屈ではなく心情で理解できる最適の入門書でもある、そんな思いを抱きながら、ボクは第四巻を閉じた。