芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

渦巻

 どうしてこんな状況に立ち至ったのか。既に手錠をはめられていた。そして、背後から目隠しをされた。何も見えなかった。複数の人間がいた記憶は残っているが、何人いたのだろうか。黒い覆面で顔を覆っていたので、男だろうか女だろうか、それさえ不明のままだった。連行された。誰かが手錠をロープか鎖か何かで引っ張り続けていた。何処に?

 話し声もしない。聴こえるのは足音だけ。おそらく長い廊下を歩いているのだろうか。それとも、無風無人無騒音の舗道を歩き続けているのか。カツリカツリ、カツカツカッツン、複数音の足音だけが響いているのだった。

 何の合図もなく、いきなり腹部に強烈な打撃を受けた。体がほとんど垂直に崩れ落ちた。彼の意識は途絶えた。

 目覚めたのだろうか。ここはどこだろう。昼とも夜ともわからなかった。だから、確実にわかっていることだけを書いておこう。

 

 二十二年よ、そんな声がした。女だ。女の声だ、どこか彼には聞き覚えのある……そうよ、目隠しを取って、見せてはあげられないけれど、この部屋、ここであなたとあたしは十一年間暮らしたのよ。二十二年前のこの日、丁度四月二十六日から数えて。

 そして、あなたと別れた。別れた日から今までの十一年間、あなたはあたしなしで、この部屋でひとりぼっちで明け暮れていた。

 あなた! ホラ。あなたの記憶が消滅していくわ。あなたの記憶が消滅したら、あたしはこの部屋から完全消滅するの。わかる? あたしはあなたの中だけで生きて来たの。どう。思い出した。あたしのこと。あたしの笑顔。あたしの零した涙。ダメよ。あたしにはそれが出来ない。何度も言うわ。ごめんね。もう二度とあなたの目隠しを取ってあげられないから。

 

 ……まだ目隠しをされたままだが、すべてを忘却した彼方から、こんな情景が眼前に浮かんでいた。……彼の体は以前の半分くらいに縮まっていた。赤いクレヨンを右手の親指と人差指に挟み、薬指で支えて、古い家の居間の漆喰の壁に、夢中になって落書をしているのだった。まっ赤な 狂った、渦巻き状の。