芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

津田真理子詩集「森のフクロウーかあさんへ」を読む。

 この詩集は、母とその娘が愛しあったまま死別した娘の思いを出来る限りそのまま語り出した、余分な飾りを落とした純化された言葉だった。

 

 「森のフクロウーかあさんへ」 津田真理子著 澪標 2021年8月20日発行

 

 全体は三部で構成されている。まず第一部は母の生前五年間に書かれた十七篇の作品。第二部では百歳でこの世を去った母への言葉。死別してから三か月間に書かれた十七篇の作品。そして第三部は母と死別してから三か月から五か月にわたって書かれた十篇の作品。

 母との愛別離苦の言葉が、著者の内部からあふれでてきたのであろう。いまさら私が解説する要もあるまい。読者はこの本のページを開けば、母への純粋な愛と感謝の言葉に出会うことだろう。

 余談になるが、この本の中で、「残された砂漠」という作品を読んでいる時、この詩の背景は芦屋川と芦屋浜、そして松浜公園ではないか、私はそう思った。巻末の著者の住所を確認すれば、やはり芦屋市に在住している。さらにこの詩を読んでいるとこの著者の出身高校は兵庫県立芦屋高校ではないか、私はそう確信した。というのも、私も同じ高校出身で、しかも同じ年に生まれている、同学年の人だった。横道にそれてしまった。しかし私は今までずいぶんたくさん詩集を読んできたが、こんな経験は初めてだった。

 もっとも愛しあったまま死別した人に向かって遺された人がその思いを言葉で結晶する、この詩集はそういう世界からやって来た。