芦屋芸術|芸術誌・現代詩・小説

蛇口

 流し台の水槽に深さ五センチほどの水がたまっている。記憶のある流し台だから、きっと我家の台所のそれに違いない。排水口が詰まっているのだろう。水が流れていない。けれど誰もゴミ受けのバスケットにたまったゴミを掃除しようとはしない。

 

 確かに静かだった。この家に住んでいるのは私一人だが、まったく人の気配がしない、どうやらこの私でさえこの家を留守にしているようだ。

 げれど、何故だ。何故流しの排水口が詰まって、深さ五センチくらいの水がたまっているのが、私の眼前に浮かんでくるのだ。

 

 こんなにも静かじゃないか。水の音もしないじゃないか。誰かが水道の蛇口を閉めたのだろう。水たまりは深さ五センチのまま、じっとしている。誰だ。いったい誰が水道の蛇口を閉めたのだ。

 

 Mはまだ流し台を見つめている。