芦屋芸術|芸術誌・現代詩・小説

クロソウスキーの「歓待の掟」を読む。

 ずいぶん昔の話になってしまう。かれこれ三十七年が過ぎてしまった。

 その当時、一九八九年の春だったか、今はなき尼崎の「つかしん西武」でクロソウスキーの展覧会を観た。えっちゃんという彼女と二人で。

 小さなスペースで、入場者は誰もいなくて、幸い?二人きりだった。記憶に誤りがなかったら、閑散としていた。なぜかボクラにとっては好都合だったけど。だって、クロソウスキーの「ロベルトは今夜」が好きでやって来たのだから。小さなスクリーンで黒白の映画も観た。ロベルトが出た、もう一度言っておく、記憶に誤りがなかったら。

 絵と言っても、ほとんど子供の落書風。

 これと似た記憶が、いま、この文章を書きながら、蘇ってきた。

 一九八三年だったが、大津の西武ホールでアンリ・ミショー展を観た。ステキだった。やはり、絵と言っても、ほとんど子供の落書風。

 これでいいじゃないか。芸術世界は技術を競い合う世間知から遠く離れた夜の果てで狂乱してるんだから。それに、だって、この二つの展覧会の作者は私が好きな詩人たちだったもん。だったら、いいじゃん。

 

 「歓待の掟」 ピエール・クロソウスキー著 若林真/永井旦訳 河出書房新社 一九八七年十月三十日初版

 

 この長編作品は三部に分かれているが、そしてそれぞれ独立して発表されているが、「ロベルト」という独自な記号化した聖なる女性の性愛観念劇だった。

 三部作の発表年代をあげておく。

 

 「ナントの勅令破棄」 1959年

 「ロベルトは今夜」  1953年

 「プロンプター」   1960年

 

 この作品は著者の内部で、ロベルトという非実在の女が独自な記号化された生命体としておおよそ十年間住まいして、極めて悪辣な性愛劇を演じ続けた、論理も妄想もついに破綻した消息を伝えている言語芸術だった。

 卑近な言い方になって著者には失礼な物言いになってしまうが、言語のマニア向け高級マジックショーだろうか。