芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

 開いていた引き戸を閉めた時、手前に立っていた室内物干しスタンドにあたり、洗濯物が部屋の床に散らばった。

「もっと注意してやらなかったら、いかんな」

 背後で父の声がした。

「文句あるなら、自分でやってよ」

 私はきっとにらみつけ、そう口走っていた。わけもなく無性に腹が立った。

 聞いているのか、聞いていないのか。無表情のまま父は小さな紙袋を私の眼前に突き出して、

「これはわたしの友人だが、商売をやめてベトナムから引き揚げた男だ」

 紙袋にはその男の写真と来歴が細かい字で記載されていた。どう見てもその男はアメリカ人だった。少なくとも白人系だろう。

 あんなに無表情のままで、いったい何が言いたかったのだろう。姿は消えて、もうここにはいなかった。だが私の頭の中ではじっと直立姿勢を続けていた。

 たかが洗濯物を床に落としただけじゃないか。父への憤りはいつまでも消えなかった。アメリカ人の友達が商売に失敗してベトナムから引き揚げたからって、私を責める法なんてあるのだろうか。父さん。どうなんだ、私にいったいどんな非があるというんだ!

 ベッドから起き上がると、頭の中で直立姿勢をしていた父はいなくなっていた。そうだ。彼がこの世を去って四十六年が経っていた。今にして思えば、どうでもいい、他愛ない話だった。ほとんど理由のない怒りだと言えなくもなかった。なぜあんなに憤慨したのだろう。ひょっとしたら、父はまだそんな私を心配して出て来るのかもしれなかった。