芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

「詩誌らⅡ」から(2010.12.10発行)

明治に発生した詩は青春文学だと思っていたが、どうやら平成も深まり、老人も含めたあらゆる年代層の表現世界に成熟してきたと思う。

四人家族だった昔と違って、今は一人暮らしになった由布州子の編集後記から。「深い徒労感と、それでいて、この平穏なひとときを脅かしにくる冷たい何かの予感と、矛盾したふたつのものが、私の動作を止める。」この「冷たい何か」は彼女の詩「きっと眠れる」の中でこのように表現されている。

どこまでも延びる冷たい手が
体の深部まで絡みつき
私を眠らせない(16頁6行-8行)
しかし詩人は不眠に追いつめられた自分自身に絶望しているのではない。そうではなくて、むしろそんな自分を優しく受容しているのだ。
だから
この青いひとかけらを飲む
小指の爪にも満たないひとかけらが
私を海の色にそめていく
きっと眠れるよ(最終連)
足立禎子の「In the sea」。イタリアのサルデニャ島で夏を過ごした物理学者の四人家族。その学者の妻が海で水死した。ここから足立の鎮魂歌が始まるのだろう。
晩夏、残光が波頭になだれる午後
風は点在する島々をかけ巡った(第1行、2行)
いきなり詩は高音のソプラノで強く歌い出される。そこから「妻の水死」は時の中の物理現象と同時に、古代から決定されていた神話へと変容するのである。
グレー枠の手紙が遠い古代から配達されている
――彼女ノ生ハ水泳ノ最中突如オワリヲ告ゲタ――
in the sea in Sardinia(第3連)
まるで現代のギリシア悲劇を観劇しているみたいに、それは始まり、それは終わる。
海底では波がしなやかに回転しつづけ
時間の歯車は消えている(最終連)