芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

「詩的現代(第三次)」第41号(通巻)を読む。

 山中従子さんから詩誌が送られてきた。

 

 「詩的現代」(第三次)第41号(通巻) 編集・発行 詩的現代の会事務局

 

 この詩誌は、三十一人の作家で詩作品五十一篇、詩誌評一篇、評論一篇、エッセイ二篇で構成されている。もちろん、伊吹和雄のライトヴァースの作品を五十四篇と数えるならば百四篇の詩作品になる。また、高木敏克の「等高線」を詩作品としておいた。異論はあると思うが……一通り読ませていただいた。さまざまな作品があり、楽しい時間を過ごした。一点だけ気になることがあった。

 

「詩誌の発行者がみな高齢者となり、発行することが主目的化してしまっています。本誌もそのひとつということになりますが、この現状では、この停滞(閉塞感)を脱することは不可能のようです。」(本書128頁)

 

 この文章は巻末の「事務所だより」の一部を引用した。私はもともと孤独好きの人間だから同人誌とは余り接触はなく、現状を知らない。ただ、この詩誌の「事務所だより」を読んだ限りでは、所謂「現代詩」はのっぴきならない場所に立っている、そんな気持ちがしないでもなかった。極端に言えば、復活の望みがない「最後の晩餐」で食事をしている、そんな幻影が私の両眼に浮かんでいた。ならば、言葉を主食にしてきた高齢者がこの世との別れに一曲「最後の幻影」を書けばいいと、私は思う。一曲が十曲になれば、なおさらいいんだが。