芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

混乱する衝動

 工場街の一角にある事務所から私は電話をしていた。

「あら、わざわざ電話してくれたのね。うれしいよ」

「どこへ行けばいい?」

「前のところ。<コクサイ>まで来て。夕方五時半ごろ、そこで待ってるわ」

 おかしな話だが、携帯で話していたのか、固定電話だったのか、私には思い出せなかった。事務所を出ると、灰色の建物の壁の前に数人の男がたむろしていた。

「ナカナカやるじゃない」

「タイシタモンダ」

 そんな冷やかしが風にちぎれながら、断片になって私の耳底に響いてきた。

 私は車の運転が出来ない。助手席か後部座席がわからなかったが、とにかく車に乗り込んで彼女と会う約束をした<コクサイ>へ急いだ。窮屈な車内だった。極端に小さな軽自動車、ゴルフ場のカートの改造車ではないか、そんな記憶が残っている。

 小高い坂を上り詰めると、そこは蕎麦屋だけが密集している集落だった。丘の上からかなりの下り坂を加速しながら突っ走っていく。蕎麦屋に両サイドを挟まれた狭い路地のあちらこちらを曲がりくねって、車は走り抜けていく。車体が両サイドの蕎麦屋の壁面に接触するくらい、ギリギリの道ばかりが続いている。運転席をのぞくと、ハンドルだけが動いていた。

 それにしても、あの<コクサイ>はいったいどこにあるのだろうか? 確か一度ならず彼女とそこで逢引したのではなかったか。そもそも<コク>は<国>に間違いなかったはずだ。だが、<サイ>は? どんな漢字だったのか浮かんでこない。阪神西宮駅近くのパチンコ屋ではなかったか。いや、それとも、神戸三宮駅近傍の<国際会館>だろうか。さまざまな問いと答えが頭の中で混乱している。私はどこに行けばいいのだろうか……

 一瞬のことだった。私はまったく違った場所に座っていた。車内ではなかった。それはJR西宮駅、もう何十年も昔の話なので正確には<国鉄西宮駅>と呼ばれていたが、その近辺の薄暗い喫茶店の片隅だった。そこで、ある女と逢引していた。私はすべてを鮮明に思い出した。この女と会うため、私の亡妻が運転してその喫茶店まで私を運んでくれた。現に、その女の隣に亡妻が座っているのだった。