芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

鍋谷末久美の「私、ただいま透析中」

 おそらく著者がこの本を書く最初のスタートラインに立ったのは、平成十八年に出版された読書会「若葉」の創作文集に、私は未読ではあるが、「裸足になった私」という作品を発表したからだろう。

 この作品の中で、著者はそれまでひたすら隠し通していた自分の病歴を、その真実を、書いた。仲間から「病気のデパート」、そんなニックネームを付けられた(本書46~47頁参照)。私は推察するに、この時、著者は事柄の真実を書く喜びを知ったのだろう。ちょっとおおげさな表現になってしまうが、真実を書くカタルシスを覚えたに違いない。

 

 「私、ただいま透析中」 鍋谷末久美著 発行所澪標 二〇二〇年十一月一日発行

 

 この本は、「朝明けの空が見たい」、「私、ただいま透析中」、「まわりは敵ばかり」、以上三部で構成された、著者の闘病記を中心にした自分史と言っていいだろう。しかし、闘病記と言っても、糖尿病から透析に至り、網膜剥離による左眼機能の消失、右眼の白内障など、自分自身の病歴をさまざまなエピソードを交えて表現しているだけではない。父親の黄色靱帯骨化症による闘病、それは母親との家庭内別居のさなかで展開するのだが、この場面に自分も関わっていく姿をさりげない筆致で著者は描いている。この指定難病68、「黄色靱帯骨化症」は後日、「病気のデパート」たる著者にもやって来る。こんなに大変な病気だったんだ、アア、あの時、もう少し父に優しくしてあげたらよかった、そんな思いを著者はそっと告白する。

 一方、母の闘病に関しては、親子の愛憎にまで踏み込んで詳細にわたって綴られている。母は、脳の深い場所にある細い血管のダメージによる「ラクナ脳梗塞」を発症する。恐らく何カ所かにわたって広い範囲で梗塞しているのだろう、ほとんど身動きが出来ない状態で著者にメールを出す。著者は周章てて電話をして、脳梗塞に違いないと判断する。母は宮崎県の都城市に住んでいる。著者は大阪の岸和田に住んでいて一週間に三回透析に通院している。だが、脳梗塞は救急治療を要するばかりか、長時間放置すれば生命さえ危険な状態にさらされる。著者は覚悟を決めて母の救援活動を開始する。パソコンで伊丹空港の最終便、19時40分発を確認。かろうじて間に合い、宮崎空港へフライト! 結果、母は救済されたのだった。その後、母を自宅に近いマンションに呼び寄せ、二人の愛憎が交叉するスサマジイ闘病劇が、描かれていく。

 著者はどんなイヤなことでも、顔を背けて逃げ出したいことでも、心の底であれこれ不平不満をつぶやきながら、最終的にはそのイヤな状況を受け入れてしまう。自分の闘病生活の時間の中に、イヤな状況に対応する時間を加算してしまう。よく損な性格と言うが、まさに著者はそんな性格で、心の底で口汚く独語するが、結局、すべてを受け入れてしまう。本質的に優しいのだろう。

 著者の文章は、平明でわかりやすい。上述したトテモ深刻な事態を、時に笑みさえ零しながら、率直に書いている。また、好きなことはトテモ好きだと、これもまた率直にわかりやすく書いている。「透析の旅」(本書96~123頁)という文章は、その思いを結晶させた作品だろう。

 この本を読み終わって、ふと思い出すのは、著者の少女時代、体育が苦手科目で、鉄棒の逆上がりに苦労した話だった。冒頭に近い辺りで書かれた文章だが、そしてその章の題は「出来ない」となっているが、私はここに著者の心の縮図のようなものを見た。

 この文章の書き出しは、こうなっている。

 

 「もう1回出来るまで、教室に帰ってはダメ」体育の授業が終わっても逆上がりの出来ない私は、運動場の鉄棒のところに一人残された。どういうふうにしたら出来るようになるのかもわからず、ただがむしゃらに鉄棒にかじりついた。(本書10頁)

 

 そして、二三のエピソードを挟みながら、文章の半ばを過ぎた辺りでこう言っている。少し長くなるが、大切なところなので引用して、私の拙文を終わる。

 

 人間、得手不得手がある。音楽の授業で音を外して謡うからといって、居残りさせられたという話は聞いたことがない。美術でも絵を描いた画用紙に余白があるからと叱責されることもない。自分の身体を張る運動は好きではなかったが、休み時間にやるドッジボールなどは楽しかった。(本書12頁)