芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

スウェーデンボルグの「霊界日記」

 最近、再読する本が多い。しかし、再読するにはそれなりの理由があった。

 

 「霊界日記」 スウェーデンボルグ著 高橋和夫訳編 角川文庫 平成十年六月二十五日初版

 

 この本をもう一度読んでみようと思ったのは、過日ヤスパースの「ストリンドベルクとファン・ゴッホ」を読んで八月十七日付で「芦屋芸術」のブログに読書感想文を書いた。この本の中で、ヤスパースは、ストリンドベルクとファン・ゴッホ以外に、スウェーデンボルグとヘルダーリンの四人を中心に、精神分裂病の哲学的考察をしていた。彼はストリンドベルクとスウェーデンボルグを同じ傾向の妄想型の精神分裂病、ファン・ゴッホとヘルダーリンを緊張病的興奮状態の精神分裂病だと分析した。そして、妄想型の場合は対象の素材に影響するだけで芸術作品には直接的には影響しないが、緊張型の場合は影響がその人の内部に向けられ、短期間ではあるが魂の根源を表現する芸術作品が創造される、ヤスパースはそう分析した。つまり、どちらかと言えば、芸術作品に関しては、精神の内部に向かわず外部の対象に影響する妄想型に対して消極的な評価だった。

 私はこのことを踏まえて、スウェーデンボルグの「霊界日記」を再読したのだった。ヤスパースの評価が正確や否や、そういった関心があった。

 さて、私はスウェーデンボルグの「霊界日記」を読んで、ヤスパースが指摘するような対象に対する妄想だ、そういった違和感は覚えなかった。むしろ、スウェーデンボルグは具象的に存在するものに対して内面的な深い情愛を持って接していたのではないか。現実に応答する人間内部の根源的な情愛が彼には強く働いていて、もちろんそれは主から与えられた愛であるが、そこからすべての存在者を彼は見つめていたのではないか。他者や現実に対する内面的な情愛の欠落が原因で自己愛=世俗愛=自己中心主義者たちが形成する世界に地獄を見る、彼はそんな透明な視線を持っていた。私は精神病理学の専門家でもないし哲学者でもないしまったく不勉強の劣等生ではあるが、果たしてこのスウェーデンボルグの状態が外面的な対象に対する妄想だと断定するのは、いかがなものだろうか?

 

 「天界は場所ではなく、生命の状態、つまり愛、仁愛、および信仰の生命の状態である」(本書107頁)