芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

アルツィバーシェフの「サーニン」

 トロツキーは「文学と革命 第Ⅱ部」(内村剛介訳、現代思潮社)の中でわざわざ「死とエロス」という節を設け、アルツィバーシェフ主義や、同じことだがサーニン主義を批判している。この節は一九〇八年五月六日に発表されているので、トロツキー二十八歳の作品だが、多少アジテーションじみた語り口だった。

 トロツキーの論旨はこうだった。―現代芸術は性の問題(肉体の讃美)と、死の問題(肉体と魂の別離)を基礎にして構成されている。しかしこのふたつを基礎にして製作された作品は無政府的に、あるいは神秘的に現実を解釈して再構成しているだけであり、将来の社会を見据えて現実の矛盾を実践的に変革するのではなく、複雑な言葉を弄して現実を批判はするが、結果的には現実に流されそれを受容しているだけである。トロツキーはアルツィバーシェフに代表される一九〇五年ロシア革命敗北直後の虚無的個人主義の作家たちを、「無為にやつれはてて行く神秘性」(「文学と革命 第Ⅱ部」20頁)と批判している。

 

 「サーニン」 アルツィバーシェフ著 昇曙夢訳 日本ブック・クラブ発行 1973年3月20日七版

 

 だが、私にはおもしろい本だった。「サーニン」を一読すれば明瞭だが、アルツィバーシェフは徹底した個人主義者だったろう。一九一七年の十月革命後、ポーランドに亡命し、一九二七年、不遇のうちに四十八歳で他界している。もちろん、言うまでもなくトロツキーは共産主義社会を目指す最も偉大な革命家の一人であり、小ブルジョア個人主義者=享楽主義的自由主義者をこっぴどく批判するのは当然だったろう。志は低いが、曲がりなりにもこの私も小ブルジョア個人主義者として人生を渡った手前、アルツィバーシェフに共感する表現は多々あった。特に、これが「万物照応」というのか、自然の極めて巧みな描写とその中で動く人間達の微妙な味わいのある表現には、感服した。

 同じ作者の「最後の一線」もどうしても読みたくなってネットで調べたが、「在庫ナシ」、だった。どなたかお譲りいただけないか?