芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

エレンブルグの「雪どけ」

 私がこの作家の作品を読んでみようと思ったのは、一ヶ月ほど前だったか、昔読んだアンドレ・ブルトンの「ナジャ」(稲田三吉訳、現代思潮社、1964年3月30日第3版)を再読したからだった。この本の巻末にはブルトンの年譜が付いていて、一九三五年の欄にこういう記載があった。

 

 「ブルトンは(コミュニストが提唱した)『文化擁護のための作家会議』で発言する予定になっていたが、この会議の数日前に彼は偶然イリヤ・エレンブルグに出会った。ところがエレンブルグは、彼の著書『ソヴェトの一作家による見解』のなかで、シュ-ルレアリスト達の名誉をはなはだしく傷つけていたため、ブルトンは彼の顔をなぐった。この事件のため、会議で予定されていたブルトンの発言は打ち消されてしまった。<中略>。結局ブルトンの演説はポール・エリュアールによって代読されたが、それも会議室にすっかり人がいなくなり、電気も消されてしまうような時間になってからやっと許されたのである。」(「ナジャ」189~190頁)

 

 少し長い引用になってしまったが、私は「ソヴェトの一作家による見解」の中でエレンブルグがシュールレアリスト達を批判していたからという理由だけで、「ブルトンはエレンブルグの顔をなぐった」、この行為が信じられなかった。ブルトン三十九歳、エレンブルグ四十四歳くらいだったろう。本気で思いっきりなぐったのか、冗談半分でそういう格好を付けたのか、この叙述ではわからない。彼等の理論や理屈だけではなく、こういう行為は彼等の人格を理解する上で重要なところなので、どうせ書くなら中途半端ではなくもっと具体的に書いて欲しかった。もちろん、エレンブルグのシュールレアリストに対する批判内容も書いておかなければ、何が何だかわけがわからない。また、エレンブルグはこのブルトンの行為に対してその時どんな対応をしたのか、そこまで詳しく、一方に偏らないで、読者が公平に判断できるように詳細に書かなければならない。こうした世界的な作家の狼藉を書いた限りは、キチッと書かなければならない。でないと、彼等に失礼ではないか? 世界的な作家は、いったいどんな人格者か、それをしっかり学ぶ、極めて重要な一例ではないだろうか?

 私は「ソヴェトの一作家による見解」さえ読んでいないので、何故ブルトンが暴力行為に走るまで激昂していたのか、あるいは彼一流のパフォーマンスに過ぎないのか、見当が付かない。ただ、公平性を重視する私の性格として、攻撃された被害者エレンブルグの作品も、一読しなければ気が済まないのだった。

 

 「雪どけ」 エレンブルグ著 江川卓訳 決定版ロシア文学全集第28巻 日本ブック・クラブ 1972年10月5日第六版

 

 この作品は第一部が一九五四年、第二部が一九五六年に発表されている。言うまでもなく、一九五三年にソヴェトの最高権力者スターリンが死去、彼の死因も含めて権力闘争の裏側で何があったのか、不勉強な私は存じあげないが、その後、恐怖政治のトップだったベリヤは処刑され、いちおう彼は銃殺されたとなってはいるが、どんな状態で銃殺されたのか、はたして銃殺だったのか、やはり不勉強な私は詳らかにしないが、かくしてフルシチョフの出番が来た。

 こうした状況の変化に対応して、それではソヴェト国民の生活はどのように変化したのだろうか、それを仕事と愛という生活の基本的なテーマを軸にしてわかりやすく描いたのが、「雪どけ」という小説だった。トテモ読みやすい本で遅読の私にしてはわりあい早く読んでしまった。この物語に登場する人々は、例外はあるとして、たいがいの人は互いに愛しあうことによって仕事でも家庭や日常生活のおいても相手をあたたかく受容する、そんな世界に向かって歩み始めている様子だった。スターリンを中心にした官僚支配の世界から無宗教の愛の世界へ、そういった希望を根底にした小説だった、そういっていいのかも知れない。

 この作品はエレンブルグが六十代半ばに書いたものだが、一八九一年にモスクワのユダヤ人技師の家庭に生まれ、十五歳で革命運動に走り、十七歳で逮捕され、一九〇九年、十八歳でパリに亡命し、一九一七年のロシア革命時に帰国、その後も紆余曲折を経てソヴェトを代表する作家の一人になった、そんな苛烈な人生を疾駆した彼は、トロツキーの本を読んで感激したブルトンとは革命に対する命と時間の賭け具合が違ったのだろうか。彼等には和解が出来なかったのか? 顔をなぐってしまえば、相手を絶対否定したに等しかっただろう。「ナジャ」巻末の年譜によれば、一九三八年にブルトンはメキシコに亡命していたトロツキーを訪ねている。やはり、彼等に和解は不可能だろうか? 特段、わざわざ和解する必要はないと言えるのだが。はたしてどうだろうか?

 それはともかく、私はトテモ平和な人生だった。ダラシナイというか、臆病というか、無節操だっただろうか、相手をトコトンまで追い込む迫力なんてサラサラ持っていないというか、とにかく生まれながらにして頭の出来が悪いせいだと思うが、たとい口論しても、余程のことがない限り、いつの間にか和解していた。かつてシュルレアリズムのブルトンは社会主義リアリズムのエレンブルグの「顔をなぐった」が、ご覧の通り、私の本棚では彼等二人は仲良く並んで立っている。私の本棚には自分の考えが絶対だ、そう主張するのは誰もいない。誰も「顔をなぐった」りしない。本棚はすべてを受容している。