芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ピリニャークの「機械と狼」

 この作品は、一九一七年のロシア革命後、一九二二年辺りまでのモスクワに近いコロームナ周辺を中心にさまざまな人々が織りなすさまざまなエピソードを一個の運動体として展開し、一九二四年のレーニンの死がやって来る最中に終焉する。確かに一個の運動体ではあるが、従来のプロットを主体として運動する物語を否定した、謂わば混沌を主体として運動する物語だ、そう言っていいのだろう。

 私は推論するのだが、何故こんな混沌を主体とした物語が発生したのか、それはもちろん言うまでもなく、一九〇五年から始動し一九二二年前後まで続いた人類初めての経験、社会主義革命への途上、この激動と震撼を、この当時のインテリゲンチアは否定しようがしまいが、その状況を生きる存在者として脳に映写し、痛切に反応せざるを得なかった、これが混沌たる作品へと運動する第一原因ではなかったか。従って、この特異な状況下で創造された作品は、否でも応でも、従来に見られなかった言語作品、極端に前衛化した言語作品へと結晶したのだった。先例にはベールイの「ペテルブルグ」、ザミャーチンの「われら」、トロツキーの「文学と革命」、そして、この作品だった。

 

 「機械と狼」 ピリニャーク著 川端香男里、工藤正廣共訳 未知谷 2010年1月25日発行

 

 著者は「まえがき」でこんなことを書いている。参考までに引用しておく。

 

 「作家行為とは、楽しくない仕事であり、そして、ほとんど筋肉労働なのだ」(本書9頁)

 

 私がこの本を読んだ理由は、トロツキーが「文学と革命」の中でわざわざピリニャークという作家を第二章で節を設けて論じていたからだろう。そして当時まだ二十代後半の作家にその将来を強く期待していたからだろう。ただ「文学と革命」が発表された二三年にはこの「機械と狼」は世に出ていないので、トロツキーは二二年頃までのピリニャークの作品を論じているのだが。ちなみに、この作品が発表されたのは二五年だった。さらに言えば、トロツキーに将来を期待されたピリニャークは、二度訪日しているのも一端の理由だったのか、日本のスパイ・トロツキストとして、三八年、スターリンの主導する一国社会主義国家によって銃殺されている。

 確かにトロツキーが指摘しているとおり、ピリニャークにはベールイの象徴的・神秘的スタイルの影響がみられるのであろう。例えば、この物語の登場人物エレーナのこんな発言にも彼の現実をこえる夢想、形而上なるものへの強い表現意志が現われている。

 

「人々は夢想するもんじゃないこと。いつも夢想して、自分の人生を夢想と信仰とでくるんでいるの。それなしではとても生きていけないもの。でも生活そのものは、食べたキュウリみたいに、つまり二二が四みたいに単純なんだわ!」(本書252頁)

 

 さて、トロツキーはピリニャークの文学をこのように定義している。

 

 「ピリニャークは革命の芸術家ではなく、単に革命の芸術的同伴者にすぎない。」(「文学と革命」トロツキー文庫版73頁)

 

 そしてさらに進んで、トロツキーはピリニャークの文学にもうすでに存在しないロシアの大地という形而上学へと回帰する可能性、つまり、反動的な文学作品の創造へと転落する可能性に対し、警告している。少し長くなるが、トロツキーの革命思想の具象性を知るにもわかりやすい文章なので、引用する。

 

 「革命を農民の暴動と生活の中に解消すること、これをピリニャークが頑固にやり続けるとしたら、それは彼の芸術的手法が今後さらに俗悪な方向へ地滑りして行くといったことを意味するだろう。<中略>。将来における革命の仕事はすべて、まさに経済の工業化と近代化、生活の全分野にわたる建設の手法とメトーデを精密にすること、農村生活の白痴ぶりの根絶、人間の人となりを多様にし豊かにすることを目指すことになる。プロリタリア革命なるものは電化を通じてのみ技術的文化的に完成され、然るべき結果を得るのであって、松明への復帰を通じてそうなるのではない。」(「文学と革命」トロツキー文庫版77頁)

 

 おそらくピリニャークはこのトロツキーの文章を読んでいるであろう。そしてもちろん詩人たるピリニャークにとっては、「プロレタリア」という存在を理屈ではなく、一個の確固たるイメージとして表現しなければなるまい。この書では、「プロレタリア」はこのように表現された。

 

 「花や野辺、農耕者からの断絶を理解するだろう者、まさしく自分が始動させた機械の自然力を前に自分の孤児の境界を痛感し、そして弾み車の下の死への意志を克服するだろう者、溶解してこれを自分の内部で変容させる者―それがプロレタリアなのだ。<中略>。なんとなれば機械には、神におけると同様、血はないからである。そして機械がーただ機械のみが世界を克服するからであるー(本書318頁)

 

 少し分りづらいかとも思うが、本書全体の中から生まれた「プロレタリア」のイメージなので、例えば、「弾み車の下の死への意志」という言葉もこの物語に登場する没落した貴族階級の技師が工場の機械の弾み車の下で自殺するという事件から象徴されて発語しているのであって、上掲の文章だけでは理解は困難だろう。そのためには本書全体を読む以外に、ロイヤルロードはあるまい。

 だからロシアにおける「プロレタリア革命」を表面から見て私流に簡単に表現すれば、教会的神世界・あるいは・ロシア的大地世界から機械的大工業世界への転化、このように見えてくるのか。別の言葉で言えば、神中心世界・あるいは・ロシア大地中心世界から機械中心世界への急転、そう見ていけばいいのか。いずれにしても、人間は素手では生きることが出来ない、そういう結論だった。神的形而上学、大地的形而上学、そういった形而上学が没落する現代では、新しい機械的形而上学が必要だった。有限な人間の血が流れていない永遠性のある確固たる夢想の土台が必要だった。

 トロツキーは「文学と革命」のピリニャークに関する文章の末尾で、彼にこのようなエールを送った。

 

 「ピリニャークは有能である。だが、困難もまた大きい。彼の成功を祈ろうではないか。」(「文学と革命」トロツキー文庫版80頁)

 

 先に述べたとおり、ピリニャークは一九三八年に銃殺された。