芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

プリーモ・レーヴィの「これが人間かーアウシュヴィッツは終わらない-」

 この著者は、イタリアの化学者ではあるが、第二次世界大戦中、ナチスのトリノ占領に対して反ファシズムのレジスタンス活動を始める。だが、一九四三年十二月十三日、スイスとの国境沿いの山中で国防志願軍(ファシスト軍)に逮捕され、ユダヤ系イタリア人であったため、カルピ駅から軍用列車でアウシュヴィッツ駅に向かって流刑される。この時、六五〇人の囚人が十二輌の貨車に分乗させられ、著者の貨車は小さな車輌だったため四十五人が詰め込まれた。驚いたことに、この六五〇人のうち、無事生還したのはわずか二十三人だった。また、著者が乗った貨車の四十五人のうち生還できたのは、他の貨車と比較すれば確率が高く、四人いた。

 

 「これが人間かーアウシュヴィッツは終わらない-」 プリーモ・レーヴィ著 竹山博英訳 朝日新聞出版 2019年10月30日第3刷

 

 高シレジア地方アウシュヴィッツのビルケナウ収容所で第三帝国ドイツ人はこの六五〇人から九十六人の男、二十九人の女を労働者=奴隷として選別し、残り五百人を超える人々を労働者=奴隷不適格者として焼却処分に選別したため、彼等は二日と生きてはいなかった。そして、運良く一命をとりとめた労働者=奴隷から、一九四五年一月二十七日、アウシュヴィッツ強制収容所をソ連軍が解放した時、先に言ったとおり、二十三名の生存者が確認されたのだった。

 この間の出来事の詳細をきわめて客観的に描ききった作品がこの書である。つまり、第三帝国ドイツ人は如何にして人間を完全に破壊するのに成功したか、それを証明する物語である。地獄は人間が想像した世界だが、ここでは地獄を超えた別世界が書かれている。

 個人的な感想に過ぎないが、ボクはこの著者の作品をもう少し読んでみようと思った。というのも、この著者は、ヒトラーを中心とした第三帝国の存在を、宗教や社会科学、人文科学など人間が開発した論理で理解することを拒否しているからだ。すなわち、第三帝国の存在は、言い換えればその狂気は、そういった人間的理解を超え出た存在だ、そこを、この著者は問い続けているようだ。

 存在理由のない存在、あえていえば、それは完全な虚無だ、そうとしかほとんど言いようのない存在なのかも知れない。従って、国家権力の中枢にいる政治家たちが、ヒトラーを中心とした第三帝国のごとき人間を物体視する虚無に近づいていき、例えばゲルマン民族至上主義のような、人間的な存在理由が感じられないアジテーションによって民衆を扇動し洗脳し始めたならば、そこではアウシュヴィッツ再現劇の開幕が近いのだろう。