芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

リストカットは、止めることにした。

 きのう、午後一時、阪急芦屋川北側の小公園でボクラは落ち合った。彼、北野辰一はジーパンのラフな姿で現れた。二日前に誘われて、これから彼の親友、山村雅治が主宰する「松山庵グレデンザSPレコードコンサート」へ行く約束をボクはしていた。松山庵はここから歩いて数分だった。

 手回し蓄音機グレデンザでSPレコードを聴く音楽会で二十人近い聴衆がやって来た。きょうはトスカニーニ指揮、ベートーベンの「英雄」と、なんと驚いたことにモーツァルトの交響曲四十番だった。

 ボクの記憶は一瞬にして二十代前半、トスカニーニの四十番を何度も一緒に聴いていた、ボクのワイフえっちゃんとの二人だけのあのアパートの時間に直結した。ボクラにとって、ワルターでもなくベームでもなく、どうしてもトスカニーニだった。もちろんLP盤だったが、きょうはSPレコードでトスカニーニのそれを聴くのだった。

 そもそも北野辰一と出会ったのは、今年の七月十九日、えっちゃんの五年目の命日に出版した詩集「詩篇えっちゃん」が縁だった。そして彼に誘われてやって来た音楽会で、若い頃えっちゃんとよく聴いたトスカニーニ指揮モーツァルト四十番の演奏が始まるのだった。第四楽章が終わるまで、ボクの前に笑顔のえっちゃんが、ずっといた。

 音楽会の後、きょうの主宰者山村雅治を囲んで、北野辰一とボクと三人で近所の喫茶店「カフェ ブラティーボ」でコーヒーを飲んだ。あらかじめボクは北野辰一から彼が編集している「りいど みい」の六号・七号・八号・九/十合併号で寄稿している山村雅治の文章をすべて読んでいたので、彼の文章を話題にしておしゃべりをした。そして心の中で、えっちゃんが彼等を招待してくれたんだ、そんなふうにボクはつぶやいていた。

 やはり、「酒でも飲むか」、ということになり、場所を変えた。中華料理店「十八番」で、ビールやハイボールなどを身体に入れながら、初対面とは思われないくらいボクの調子は盛り上がって、来年に発行する「芦屋芸術十号」に「マルテの手記」ばりの作品を寄稿する、山村雅治からそんな言質を、酔っ払っているとはいえ、確かにボクは取った。

 山村雅治とはそこで別れて、阪急芦屋川駅に向かう途上、やはりまた、「もう一軒、行こうか」。そういうことで、「PUCCHO」で十一時頃まで北野辰一と飲み続けた。……意識朦朧の中、不意に彼は奇妙なことをしゃべり出した。

「ワイフを喪った江藤淳はリストカットしたが」、そう言いながら彼は自分の右手の指先を伸ばして左手首を切るマネをして、「ヤマシタさんは『詩篇えっちゃん』を書きながら何とか生きながらえているので、ヤマシタさんの方が偉い!」

 ふんふん。ナルホド。そうか。そんなホメ方もあるんだ。確かにボクはえっちゃんを喪ってあれこれ迷いながらきょうまで来た。サンキュー、キタノさん。とりあえずボクは、リストカットは、止めることにした。