芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

いいだももの「アメリカの英雄」

 この小説は、一九四五年八月六日および九日、ヒロシマ、ナガサキに原爆を投下したパイロットが、終戦後、アメリカ本国にスーパー・パイロットとして、すなわち、本土決戦を断念させて日本を無条件降伏に追い込んだアメリカの英雄として凱旋するのだが、この「アメリカの英雄」としての自分を自己否定して、一瞬にして数十万人の日本人を殺害し、あるいは、生き残った多くの原爆症に苦しむ日本人に対する殺人者として、厳しい自己処罰の道を選択する男の物語である。

 

 「アメリカの英雄」 いいだもも著 河出書房新社 昭和40年1月30日発行

 

 戦後、世界資本主義の中軸となったアメリカ合衆国を軍事力で支えたのは、言うまでもなく、原子爆弾だった。この本が発行された一九六五年といえば、東西冷戦の最中、ヒロシマ・ナガサキで既に実験済みのこの途方もない破壊力を持つ原子爆弾で共産主義国と対峙し、包囲し、恫喝し、資本主義国を維持する世界の警察として、アメリカ合衆国は君臨したのだった。

 従って、世界で初めて人間に原子爆弾を投下したパイロット、祖国に凱旋した「アメリカの英雄」が自分の行為を自己否定するということは、とりもなおさず、アメリカ合衆国の軍事の中核、原子爆弾を否定することだった。同時にまた、原子爆弾を計画し、推進し、実行した時の権力者およびその関係者を否定することだった。結局、このパイロットは精神病院に監禁された。

 だが、もう一方で、巨大産業の利益や軍事産業の高度化を推し進める世界資本主義体制を根底から変革しようとする人々が、アメリカ合衆国の足もと、キューバを中心に登場してくる。そんな二重構造の中で、登場人物たちは、ある時はドタバタ喜劇を演じ、ある時は銀行強盗を決行し、ある時は裁判に出廷し、またある時はナガサキの廃墟を彷徨する。奇妙奇天烈なおかし味が充満するこの厖大な言葉で部厚くなった物語は右往左往しながらエピローグまで転げ落ちるように展開していく。

 一九六〇年代、確かに、ボクの十代の頃を振り返ってみれば、さまざまな「世界革命論」が存在した。一時期、当時の若者たちのひとつの特徴ではあったが、自分達の力でなんとかこの世界を人間が住むに相応しい場所にしたい、そんな希望と情熱に燃えていた時代でもあった。もちろん、今さら言うまでもなく、それらすべては挫折し、灰燼に帰したのであるが。この書も、所謂「原爆文学」でもあり、また、言ってみれば、「世界革命」への「過渡期の意識」(この著者と親交のあった哲学者梅本克己の言葉)を表現したものだ、そう言えなくもない、貴重な一冊だった。