芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

栗原貞子の「核・天皇・被爆者」

 この本の著者が広島で被爆し、敗戦を迎えたのは三十二歳の時だ。戦中から反軍国主義の作品をノートに書いていた著者は、戦後、一九四五年十二月に細田民樹を顧問に夫栗原唯一と「中国文化連盟」を立ち上げて、ただちに文学運動を開始している。被爆者の立場から、もう二度と被爆者を作らない世界、戦争が消滅した平和な世界を求めて。

 「核・天皇・被爆者」 栗原貞子著 三一書房 1978年7月15日第一版

 この本は、一九七五年から一九七七年までに発表された十二篇のエッセイに二篇の書下ろしを加えて編集されている。
 言うまでもなく栗原貞子は原爆の被爆者ではあるが、同時にまた、第二次世界大戦における侵略国家日本の国民としてアジアの諸国に対する加害者でもあり、また、例えばベトナム戦争においても日本は米軍の基地として、事実上、ベトナムへの加害者になっている。あるいは、広島で被爆した人々の中に、強制労働で日本に居住していた朝鮮人、被差別部落の人々の戦後、原爆症に苦しみながらスラムで生活している姿をつぶさに見て、被爆者ではありながら自分の内なる加害者の立場に苦しみ、その苦しみをバネにして、この詩人は、反核・反原発・反戦・反公害・反天皇の運動をしぶとく続けた。その間の状況と著者の思いを、敗戦後からわかりやすく報告している。
 最近、「フクシマ」の原子力発電所が津波で崩壊した。それ以後、日本における原子力発電所の存在の賛否は二分している。栗原貞子はつとに原子爆弾だけではなく原子力発電所にも反対しているが、その論拠をかいつまんであげておこう。

(1) 原子力発電所は、たとえ軍事核に転用されなくても、このまま運転を続ければ、放射能を含んだ廃棄物の棄て場がなくなる。(本書15頁参照)
(2) 原子力の平和利用という名目で、安全性が確かめられないまま、原子力発電所が次々にできて、放射能洩れの事故などが相ついでおこり、新しい被爆者ができつつある。(本書17~18頁)
(3) 新聞報道によれば(朝日新聞、53・3・20)、アメリカでは原発の廃棄物を用いてウラン爆弾の製造に着手すると言われている。原発は核兵器と紙一重ではなく核兵器製造のためのプルトニウムの原料製造工場そのものである。(本書162頁)

 このような理由で、著者は原子力発電所に反対している。ただ、現在では、原発の反対理由として、上記以外に、高コストが問題視されている。福島原発の廃炉を含めた事故対応費は、当初の11兆円から22兆円に政府の試算は跳ね上がっている。しかし、別の試算では50兆円から70兆円までいくのではないか、とされている(日本経済研究センターの独自試算)。もちろん、日本の一年間の国家予算に迫らんとするこの数字は、処理期間を三十年乃至四十年と仮定した場合のトータルの数字である。このロードマップの数十年という仮定もいつか揺らぐかも知れない。その上、事故処理を担当する作業者の被爆問題、限りなく増水する汚染水の処理問題などが重くのしかかっている。
 しばし、沈思黙考しよう。……五十ヶ所以上の原発をかかえた日本がこのまま数十年間経済的繁栄を持続できるか、誰も保証は出来ない。少なくとも、周知のとおり、少子化の時代は確実にやって来る。福島原発のような全損事故が起こらなければ、廃炉はもっと少ない費用で済むだろう。また、処理作業も、炉心溶融していない分、「フクシマ」と比較すれば安全であり、地下水による汚染水も発生しないといわれている。
 この本の著者、栗原貞子も予想しなかった地震による全損事故が発生した。ひょっとしたら、あってはならないがテロのような、人的な重大事故さえ発生するかも知れない。いや、それは絶対ないと、いったい誰が約束できよう?……