十日余り前にこの著者の「歓待の掟」という作品をブログでご紹介した。
きょうは、その作品を構成していた三作を製作・発表した後、1965年に発表したこの作品をご紹介したい。
「バフォメット」 ピエール・クロソウスキー著 小島俊明訳 ペヨトル工房 1987年7月20日第二刷
この作品の舞台は、歴史的に言えば、十字軍がエルサレムに向かってイスラム教徒と戦い、敗北した、即ち、キリスト教がイスラム教に敗れた時代を背景にしている。
私の勝手な意見に過ぎないが、三位一体の唯一神がアラーの守護兵を打ち破れなかったのだった。キリストの唯一神は絶対者ではなかった。唯一神になるためには他の神々と争い、彼等を破り、勝利しなければならない。言うまでもなく、もちろん、キリストにゼウスは破れた。
蛇足にはなってしまうが、前面には神という言葉が出ているが、その裏側では、政治的な権力闘争があって、勝ち残った権力者が唯一神だったのかもしれない。なぜって、卑近な現代語を使えば、宗教はあなたを洗脳する道具だもん。「古事記」だって、そうかも。
クロソウスキーの今回のお話は、十字軍とキリスト教、それにバフォメット(マホメットが化身した神霊?)が絡んで、奇妙な幻想劇を演じている。また、奇妙な神学論争を随所に展開して。
どうしてこんなにも幻覚のカオスが吹き出して、劇場全体を靄が流れ続けているのだろうか。この物語の最後に至って、おなじみのロベルト、彼女もちょっと顔を覗かせたりして。
登場人物は異端審問の宗教裁判で首を刎ねられた、つまり極刑に付された十字軍の修道士たちの霊だが、いや、時折、違った霊、例えば「聖女テレジア」や「ニーチェ」などの霊も登場するのだが、それはさておき、そもそもこの作品は霊界物語であって、成立の根底から強烈な幻覚作用が働いているだろう。
そのうえ、登場人物は、反キリスト者、噛み砕いていえば、自己の自己同一性が崩壊した人間が、ところかまわず徘徊する。ときには虫に変身したりして。
それにしても、クロソウスキーの作品、この「バフォメット」にしても「歓待の掟」にしても、さまざまな偏執狂がさまざまな衣装を着て、舞台狭しと、時に、淫らな欲望の極限を目指して恍惚し、いつしか失神してはだけた衣装から聖なる乳房を垣間見せる、何という観念的絶頂感へ結晶せんとする架空演劇の脚本だろうか。聖なる淫らな神。いや、あなた好みの、猥褻な神神か?