芦屋芸術|芸術誌・現代詩・小説

この手を切って

 谷川沿いの小道を子供たちが歩いている。七、八十人はいるだろうか。幼稚園児、いや、それとも、小学校低学年の子供たちかもしれない。みんな黄色い帽子をかぶっている。こんなところを、こんなおおぜいで歩いているから、きっと遠足じゃないだろうか。

 

 それにしても、不思議な眺望だった。近づいて行っても、同じ距離を保ったまま、いつまでたっても彼等に接近することが出来ない。じゃあ、ひょっとしたらリビングのソファに座って映画を見ているのだろうか。そんな馬鹿な。

 

 やはり、そうじゃなかった。右そばに大きな男が立って、私を見下ろしながら笑っていやがる。今どきみられない真っ黒のフロックコートを着て蝶ネクタイを締めて。髭は生やしていないが、長方形の顔面に七三に綺麗に分けた髪の毛を載せている。

 

 あの子供たちはここの公園で遊んでいたんだよ。確かに彼の立てた人差指の先に誰もいない公園がある。でも谷川なんてないじゃないか、私は反論しようとしたが、彼の顔を見上げているうちに、変に納得してしまった。

 

 ビルの谷間の街路を並んで歩いていると、薄っぺらい感じの古ぼけてあちらこちら亀裂が走ったコンクリート造の建造物の前で彼は立ち止った。ここだ。この鉄の梯子を登りきったところに君のお目当てのあれがあるよ、ずっと君が知りたがってたあの秘密が。私の顔をじっと見つめ、ビルに取り付けられている鉄梯子を左手で握りしめて、真顔で大男はもう一度、秘密、そう語りかけてくる。

 

 急な鉄梯子だった。ほとんど垂直。高さ十メートルはあったろう。頂上に上り詰める寸前、握力が絶えて、このまま仰向けになって街路へ墜落していく……後から登っていた彼が私の体を乗り越えて頂上に立ち、朦朧とした意識の私の両手をつかんで引き揚げている……

 

 失神していた私が目覚めた時、大男の姿はなかった。これが頂上なのか。雑草がいっぱい生えている。だったら、ここは我が家の庭じゃないか。大男は私がやり残している家事、庭の雑草を抜け、これがお前の秘密だ、そう主張するためにわざわざやって来たのだろうか。

 

 そうだ、私はやりたくもないことを、毎日やっている。そのうえ、やりたくないことを止めることが出来ない。そんな生活はまるで酒だ。止めようと思っても、なかなか止めれない。つい、手を出してしまう。この手を。もうたくさんだ! この手を切ってください。