芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

魯迅再読

 ボクは、昔、岩波文庫で読んだ。昔と言っても、もう五十年前後たっているから、十年ひと昔、むしろ大昔と言っていいと思う。そして、その文庫本も散逸してしまった。

 えっちゃん、つまり二年余り前に亡くなったボクのワイフが持っていたこの本は、昭和四十四年九月一日十版発行となっているので、彼女は二十二歳の時に買ったのだろう。

 

  世界文学全集19 「魯迅」 河出書房

 

 この頃、ボクは既にゴーゴリを読んでいたので、それに十代という若さのせいもあって、というのも魯迅の主な作品は三十代の終わりから四十代に書かれている、彼の作品をそれほど感銘した記憶はない。率直に言って、「狂人日記」にしても、ゴーゴリの激烈な狂気の方がおもしろかった。どちらかというと、教養のための読書に近かったのかもしれない。一応、魯迅も読んだよ、お友達とそんなおしゃべりをするために。

 この集は、魯迅のすべての文学作品が収録されている。「吶喊」は十四篇の作品と有名な自序、「彷徨」は十一篇の作品、「野草」は散文詩風の二十四篇の作品、「朝花夕捨」は自伝的色合いが深い十一篇の作品と長文の後記、「故事新編」は序文と主に神話や伝説を題材にパロディー化した作品八篇。文豪と呼ばれるにしては、長編もなく、寡作である。おそらく、あの当時の中国の政治状況に対して発言した雑文もあわせて読むことによって、魯迅の全体像が浮かんでくるのだろうか。そしてそれが中国共産党に評価されて今日に至ったのだろうか。けれど、今のボクには雑文まで読む気持の余裕はない。

 再読してみて、代表作の「狂人日記」や「阿Q正伝」より、「孔乙己」や「酒楼にて」、「孤独者」、そしてやはり「藤野先生」などに感銘した。特に「藤野先生」に関して言えば、ボクがまだ十代の時、テレビドラマでも観たのだが、日露戦争で中国人が「ロシア軍のスパイを働いたかどで、日本軍に捕えられて銃殺される場面」(本書313頁)の幻燈を、仙台医学専門学校の日本人の学生に混じってただひとり日本留学生の中国人魯迅が屈辱に歪んだ顔で見つめている姿が、今でも鮮明に記憶に残っている。一言でいえば、生きとし生けるものの抜き差しならぬ悲哀と虚無を、ボクは覚えた。

 えっちゃん、ありがとう。この歳になってふたたび魯迅を読んだ。君がこの本を遺していなければ、ボクは魯迅を再読せずしてこの世を去ったと思う。