芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

つるつる

 宴会場は混雑していた。顔見知りはほとんどいなかった。ときおり、「あ。この人は……」、こんな言葉が口をつきそうにはなったが、顔の記憶だけで、名前が出てこない。顔といってもあやふやなもので、テレビや映画、あるいはユーチューブの記憶かもしれなかった。

 とりあえず控室の方へ足を運んだ。宴会場の中から下手なサックスの音が聞こえて来た。詰まって、切れ切れで、断続した大きな怒鳴り声だ、頭の中でそんな呟きが走った。「ギターがいいね」、誰かが背後でおしゃべりをしている。廊下から控室まで人でにぎわい、さまざまな顔があふれていた。

 混みあった控室に入ったが、肩からぶら下がっているショルダーバッグが気にかかって来た。この中に手持ちの現金がすべて入っていた。不用心じゃないか、頭がまた呟いていた。いったん部屋に帰りバッグをセーフティボックスに保管しておくことにした。また、その方が身軽になって、宴会を楽しむことが出来る、自問自答するのだった。

 おかしな話だが、部屋に帰ったが部屋はなかった。見覚えのある廊下はあるが、部屋がない。どこにもドアがない。壁全体がつるつるしている。廊下を見渡してみたが、一室も残されてはいなかった。壁だけだった。つるつるしていた。

 とりあえず、もう一度宴会場へ行こう、あわてて頭は何度もそう繰り返していた。だが、廊下をあちらこちら歩き回ってみたが、エレベーターばかりか階段さえなかった。あたりは屈折し、錯綜していた。灰色と白のまだら模様になった固体とも気体ともつかない毛細血管状に入り乱れた通路、通路しかない通路、私のすべてを拒絶する、つるつるした立体内部をさまよい続けていた。