芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

「佐川亜紀詩集」を読む。

 私たちはおそらく日常生活を送っていて、楽しかったり悲しかったり、あるいは苦しい時もあるだろうが、それぞれそれなりに生きているのだと思う。まさか自分が生きている生活の根底を凝視するなんてことは、まずあるまい、そうではないだろうか。

 だがしかし、生活の根底を凝視する人もまれにいる。そういった人を、幻視者、そう言ってもいいだろうし、詩人と言ってもいいのかもしれない。

 

 「佐川亜紀詩集」 佐川亜紀著 新・日本現代詩文庫157 土曜美術社出版販売 2022年3月30日初版

 

 この著者は不思議な視線を持っている、言葉を変えていえば幻視者だ、私はそう思った。まず、この詩集の巻頭に収められた「あざ」という作品を読んでもらいたい。この作品はあるひとりの死者への凝視から生まれ出たものだった。第二次世界大戦中にフィリピンで戦死した母の兄、画家でもあった著者の伯父が残した絵に向き合うことから、フィリピンでの戦争とそこに生きる人たちを言葉で刻み始めた。そして叔父につながる「南の国の人を/撃ち 盗み 辱しめ 殺した」人々と著者は出会い、語り合ったに違いない。この作品の最終連はこう結ばれている。

 

 一度も会うことのなかった

 一青年と同じあざが私にもあって

 それが

 私の生に

 一つの形を与え

 時のつながりと

 人のつながりを

 考えさせたことに

 今 気づく(「あざ」最終連、本書9頁)

 

 第二次世界大戦で家族や親戚や友人が戦死した人は数えきれないくらいこの日本にもいるだろう。だが、その根底を見つめ、大本営の命令に従って戦場で戦死した兵士ばかりではなく、侵略された地で虐殺された他国の人々、日本兵に凌辱された現地の女性たちなど、この人間地獄を見つめ、凍りつき、その氷のような言葉をこの著者は結晶させるのだった。

 先に挙げた「あざ」、これから言及する「闇のある絵」も著者の初期詩集「死者を再び孕む夢」(1991年)に収録されている。さて、二十歳で志願して出征し戦死した著者の伯父は、先に述べた通り画家でもあった。彼の遺した絵を見つめながら、このように語っている。極論すれば、この言葉は著者のすべての作品の原点ではないだろうか。

 

 私はいつしか そのペン画が背後の闇こそ描きたかったものではないかと思い始めた。伯父の生涯の果て、異国で一人死ぬ前にどんな闇を見たのであろうか。その闇は私の中に潜み、私をなぎ倒し、また私が闇そのものになる、そんな思いを抱かせる絵なのである。(「闇のある絵」最終連、本書10頁)

 

 この著者の詩作品は、二本の線が交差しながら生成している、私にはそう思われた。少し長くなるが大切なところなので引用したい。

 まず、一本の線は社会・歴史とその底にある悲惨な事態とにかかわり、こう表現されている。

 

 詩人の中でも、この現実を直視しようとする人たちと、詩はそのような事態にかかわるべきではないという派に分かれています。現実に関与しない詩人たちは、普遍的な美意識やテキストの自律性を重んじています。しかし、私は大震災や原発事故は人類の文明にかかわることであり、詩は避けて通れないと思います。現代は自然や抒情も傷を負っているのです。文明によって生態や感情が破壊され、摩滅しているのと同じです。人間関係も希薄化しています。そうした現代の問題とかかわらずには現代詩は存在意義を見出せないのではないでしょうか。(「日韓詩文学の交流と発展を願って」本書155頁下段最終連)

 

 次に、もう一本の線は、私たちが住んでいる地球・宇宙へと連なり行く生命の本来の姿、それを端的にこう表現している。

 

 詩人は、固有の言語と風土、歴史に由来しながら、それを超越した普遍的な抒情、宇宙的なポエジーを抱けるのがすばらしいと考えます。目先ではなく、何万年前、何万年後も展望でき、過去の歴史を人間的な見方で見て、未来を描くことが出来るのが詩人の優れたところです。(「日韓詩文学の交流と発展を願って」本書156頁上段第三連1行目~6行目)

 

 特に著者の後期の作品には、宇宙的な広がりの中で傷ついている人間のさまざまな悲惨が言葉によって刻印されている、そんな印象を私は受けた。

 それから、もう一言だけ述べて、私の拙文の筆をおきたい。それは著者の言葉が後期になればなるほど、いよいよ軽みを帯びて、透明度が増していることだ。ここから先は、私一人の勝手な思いに過ぎないかもしれないが、そうした軽みや透明度は著者の言葉がこういった場所から発語されているのに関係しているのではないだろうか。

 

谷底の深さを味わい

山頂の高さを目指し(「アジアの子ども」第三連4行目・五行目、本書78頁)

 

底に生きている鼓動が宇宙に響く(「底の言葉」最終行、本書100頁)