芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

津軽

2010年9月12日午前11時。青森空港からバスで金木へ。太宰治記念館「斜陽館」に立ち寄る。周知の通り「斜陽館」は以前旅館であって、40年くらい昔に僕は宿泊したことがある。その頃と違って斜陽館の前に金木観光物産館「マディニー」が建っていて、その二階で昼食をとる。「マディニー」に向かって右側が駐車場になっていて、その先に「津軽三味線会館」があり、津軽三味線のライブステージが開催されていて、まんじ流まんじ愛華さんの津軽三味線を聴く。とにかく40年前と違って辺りはとても明るい感じがして観光客でちょっとした賑わいさえみせている。五所川原市金木は太宰治と津軽三味線発祥の地、元祖仁太坊の出身地として変貌を遂げようとしていたのか。

「浅い真珠貝に水を盛ったような、気品はあるがはかない感じの」十三湖から、そこにはまた吉田松陰の碑があるのだが、「たけ」の嫁いだ小泊を過ぎて竜飛岬へ。

激しい風が吹き荒れている岬に立つと眼前に北海道が見え、右方にむつ湾をはさんで下北半島が横たわっている。確かに風景以前の世界で、西洋の風景画や写真で教育された眼にはまったく異様とさえ言える岩石や海原がぼっそり露出してくるのである。
竜飛岬には旅館がひとつしかない。岬から旅館への途中、津軽海峡冬景色の真新しい歌碑がある。その歌碑の前の石造の台の上に赤いボタンがあり、それを押すと、石川さゆりが津軽海峡冬景色を歌い始める仕掛けになっている。新しい観光スポットである。風吹き荒れる竜飛岬で石川さゆりが絶唱している。

翌日、バスで外ヶ浜を走り、蟹田港へ出た。太宰の「津軽」とは逆方向である。今でも「鶏小舎」に似たバラックが散見される。僕はむつ湾フェリーに乗船し、遠ざかる蟹田港をじっと見つめたまま、津軽を後にした。