芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

住宅街

 甲子園浜の西方に今津港があるが、どうやら私はその界隈を歩いているようだった。小さな港の東側には中規模の公団住宅があり、以前私はここを住まいにしていた。最初、十一階建ての最上階、数年後もう少し広い部屋が空いたので八階に移ったが、南側のベランダから公園や海が見え、あの頃は、毎日彼女たちと素晴らしい眺めを楽しむことが出来た。

 いま、この界隈を徘徊しているのは、私一人ではなく、かたわらにMがいた。なぜか私は彼のバイクを引きながら歩いていた。時折、それに乗ってふざけて車体を斜めに傾けたまま飛ばしたりしていたが、バイクから降りると、いつもMがそばに立っていた。……この情景の映像が流れる天井を見あげて、私はベッドに仰向けに寝ころんでいた。いぶかしげに首を傾げて……というのも、免許証がないばかりか、今まで私はバイクを運転した経験さえ一度もなかった。小学校低学年の頃、私を可愛がってくれていた高校を退学したご近所の青年が免許を取って初めてバイクに乗った時、後ろの座席に座って暴走する彼の腰にしがみついていたが、その恐ろしい経験がトラウマになっていた。私は二度とバイクに乗れなかった。

 私とMは、昔よく行った居酒屋を探そうとしたのか、狭い洞窟のような建物の内部をうろついていた。先に入ったMの姿が見えない。Mだけではなかった。かれこれ三十年もの過ぎ去った歳月が飲み屋の赤い提灯が並んだこの路地を一瞬にしてまるごと消してしまった気持がした。だが、さらに私は追想していた。……いったいこんなところに居酒屋なんてあるのだろうか。そもそも私にいきつけの居酒屋なんてあっただろうか。……私はひとり、無人の住宅街をさまよっていた。この住宅街はすべてが壁で出来ていて、屋根瓦一枚見えなかった。そればかりか、どこにも空がなかった。