芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

森山公夫編「精神分裂病の謎に挑む」再読

 二十年余り前、私はある事情で精神分裂病を詳しく調べる必要が生じ、梅田の紀伊国屋書店に並んでいたこの本を手にした記憶が今でも生々しくよみがえって来る

 

 森山公夫編「精神分裂病の謎に挑む」 批評社刊 1999年11月10日初版第1刷

 

 この本は、「精神医療」8・9月合併号(1996年)の特集の復刻版である。

 かつて目を通した時、二十世紀末にあたかもそれまでの「精神分裂病」の百年の歴史を総括する、この本にはそんな印象を受けた。不治の病と烙印された精神障害者を精神病院=強制収容所に隔離してこの社会の秩序を維持しようする国家政策が、精神病に対する基本的な姿勢だった。従って、精神障害者はほとんど物として自然科学の延長上の治療がなされた。それを象徴するのが精神障害者の前頭葉を分離する手術、ロボトミーだろう。多くの人が廃人のような状態になったという。わが国でも一九七〇年代半ばまで公認されていた。また、精神障害者の取り扱いにおいては、第二次世界大戦中、ヒットラー体制の中で十八万人の精神障害者が虐殺された(本書211頁)、この究極の地獄絵がすべてを物語っているだろう。この本を読んでいるうちに、そういった歴史・社会的な状況を直視しながら、精神分裂病の治療方法を根底から変革しようと突き進んでいる我が国の精神医療従事者の自己批判をも含めた懸命な姿が浮かんでくる。二十世紀末における日本の精神医療従事者の基本的な構えは、こうだった。

 

「社会防衛主義時代に根ざす管理的収容所医療からノーマライゼーションをめざす癒しの地域精神保健への転換」(本書208頁)

 

 この本が出てから二十余年、はたして精神医療の現場はどう変革されたのであろうか。おそらく脳を調節する薬物治療が中心なのだろうか。さらに進んで私は注視していきたい。

 余談になるが、十九世紀末にクレペリンが「早発性痴呆」という病名を提言したのち、一九〇八年、ブロイラーがスキゾフレニア、日本では「精神分裂病」と翻訳されているが、「スキゾフレニア」と病名を変えることによってこの精神の病は治療可能である、そのように考えられるようになった。従って、クレペリンの「早発性痴呆」をブロイラーが「スキゾフレニア」という病名に変えたことは画期的なことだ、以前読んだミンコフスキーの「精神分裂病」(この本の原著の初版は一九二七年に発表されている)に強く指摘されていた。現にその当時、スキゾフレニアが治癒した例もミンコフスキーは報告している。なぜわざわざこんなことを私が指摘したのかというと、かつて日本では「スキゾフレニア」を「精神分裂病」と翻訳した。ところが、この病名は精神障害者への差別用語になる、ということで二〇〇二年、「統合失調症」という病名に改訳された。しかし、海外では一九〇八年にブロイラーが命名した「スキゾフレニア」がそのまま病名として継続使用されている。つまり、「スキゾフレニア」という言葉を「精神分裂病」から「統合失調症」への病名変更問題は、否、より正確に言うなら病名改訳問題は日本における特殊問題だった、そう言っていいのではないだろうか。そもそもわが国の精神病院の入院病床が多いのも、そうした精神風土と共通するものがあるのではないのだろうか、精神障害者を異物として隔離したいというそんな精神風土が。もちろん、言うまでもなく西洋でも同じ轍を踏んでいる。しかし、いまだ封建的権力社会の遺制的慣習がアプリオリに残存しているのだろうか。中央集権的な上意下達の階層意識が強いわが国では、下層へ行くほど限りなく人間が物体へと近づいていくのだろうか。少なくとも七十三年間使った私の眼には日本の社会の一つの特色としてそんな姿が映じなくもなかった。こういった歴史的社会的状況もふまえて、今後も折あればさらに考えてみたい。