芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

木村ミチの詩

僕は木村ミチに以前、といってもかなり昔の話だが、会った記憶がある。大阪のどこかの喫茶店。あいまいな残像が脳裡に浮かんでいる。

さて、「夏の日のあいまいないちにち」(サルトビ24、2007年8月20日発行)を読んでみる。

この詩は三連で構成されていて、第一連は二行、第二連十行、第三連七行である。

第一連第二行はランボーの引用「僕は夏の黎明を抱きしめた」。<黎明>は、小林秀雄は<夜明け>、粟津則雄は<あけぼの>と訳しているが。おそらく<黎明>という語感が木村さん好みなのだろうか。

本題はもちろん第二連・第三連の十七行。この十七行の第一行と最終行の二行で笑う子供たちが表現され、これら笑う子供たちに囲まれて、残る十五行で夏の一日の脈絡もない印象が列挙されている。

つまり、笑う子供たちで表面を覆われた一個の球体の中味が夏の一日というわけだ。「仕事場で鳴り響く留守番でんわのベル」、「市役所で入手する存在証明」、「夏服のラスコーリニコフ」、「二人づれの神の伝道者」……これらあいまいな中味が球体の内側で揺らめいている。

僕は夏のあいまいないちにちをあいまいないちにちとして表現することはとてもステキなことだと思う。

朝の笑う子供たちと夕暮れの笑う子供たちがジグソーパズルのようにつなぎ合わされて、夜の闇に向かってパラパラと崩れ落ちてゆく。

「夏のいちにちをほどくと/夕陽の坂道を子供たちの笑い声がころがり落ちる」(第十八行・最終行)