芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

後藤光治の詩集「吹毛井」

 著者の「あとがき」によれば、書名の「吹毛井」とは著者の故郷、生まれ育った集落の地名だった。ちなみに、「吹毛井」は、「フケイ」と読む。この詩集に発表された詩作品の大半は、吹毛井を舞台にした著者の少年時代の小宇宙を構成している。従って、読者は一篇一篇の詩を楽しむと同時に、一冊の詩集を読み終えたとき、今は廃村に近くなった著者の故郷の過去の姿、大晦日の夜には篝火に彩られた八丁坂の石段を上る、そんな「吹毛井」の生きている時間の全体像を眼前にすることになる。

 

 詩集「吹毛井」 後藤光治著 土曜美術社出版販売 二〇一九年十月二十日発行

 

 戦後、繁栄の名の下に消え去っていった大切なものは、おそらく数知れずある、人の心の数だけある、少なくとも私にはそう思われてならない。本来、大切なものを抱きしめたまま、経済的にも繁栄していたのなら、もっとステキな日々が約束されていたのかも知れない。この詩集は、少年時代、自分にとって大切だったものを、白髪を交えた今、振り返って再現しようと悪戦苦闘した言語群ではないだろうか。この詩集は第二詩集で、第一詩集の続編のようなものだ、そういう趣旨を著者は「あとがき」で述べているが、というのも、人生の晩年にさしかかって、自分にとってかつて大切だったものを何としてももう一度貧しい言葉でもいいから復活させたい、心の底に生き続けていたそういう強い願いが詩作へとうながしているのに違いない。

 さて、詩集は三部に分かれていて、各部に八篇、合計二十四篇の詩で構成されている。リアリティーを大切にした緻密な言葉で丁寧に書かれているが、平明でわかりやすい。おそらく中学生辺りの国語力で充分味わえるのではないだろうか。ここで私が解説するまでもないだろう。また、詩の特徴として、生活の断片やちょっとしたエピソードによって成立させているので、数行を引用しても詩の良さはわからない。全体を読むことによって、読者の心に抒情が反響する。その危険を承知の上で、私は「タマムシ」という詩の最終連を引用して、筆を擱く。

 

 背後に 青い

 空があった

 どこかに連れて行ってくれそうな

 空が

 あった(本書54頁)