芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

トロツキーの「文学と革命 第Ⅱ部」

 先月読んだトロツキーの「文学と革命 第Ⅰ部」の第一版の序文にはこう書いてあった。少し長くなるが、今回読んだ「文学と革命 第Ⅱ部」の要約として著者自身に語ってもらおう。

 

「第Ⅱ部の諸論文はインテリゲンチャの、エゴイスチックな変質、審美主義的『デリカシー』、個人主義渇仰、ブルジョア化の時期に関するものだが、すべてを汲みつくしているわけでは全くない。『公式』インテリゲンチャは、この革命中間期の実験室から、のちにわれわれがお目にかかる姿、すなわちブルジョア愛国主義的インテリとして現われる。反革命期には利己的・サボタージュのインテリ、無思想・憎悪のインテリ、反革命のインテリとして出現するのである。」(「文学と革命第Ⅰ部」8頁)

 

 この文章を読んで思い出す。去年の九月、私は吉本隆明の「高村光太郎(飯塚書店版)」を読み、それに関連して昔読んだ「高村光太郎詩集」を再読し、併せて高村光太郎が大東亜戦争の日本における最初で最後の本土決戦を詩で謳った「琉球」をもう一歩理解するため八原博通の「沖縄決戦」の頁を開き、すべて「芦屋芸術」のブログにその読書体験記をしたためたのだが、上掲したトロツキーの文章はひとえにあの当時、すなわちロシア十月革命前後におけるロシア・インテリゲンチャに向けたメッセージのみならず第二次世界大戦に突入前後の日本・インテリゲンチャの近代主義者・ヒューマニスト・モダニスト・芸術家たちにも通用するメッセージではないだろうか。

 

 「文学と革命 第Ⅱ部」 トロツキー著 内村剛介訳 現代思潮社 1969年5月15日第1版

 

 この第Ⅱ部は、一九〇八年から一九一四年までのロシア及びヨーロッパ取り分けドイツ・オーストリアを中心にした芸術作品への批評論文であるが、トロツキー二十代後半から三十代半ばの文章で、周知の通り彼の革命家としての実践力は超一流であることは論を俟たないが、革命理論や政治・経済の状況分析ばかりか、芸術理論に関しても造詣が深く既に完成された独自の見解を身につけている。

 この論文の中でまず紹介したいのは、一九〇八年一月十二日、その当時の世界の状況に対するトロツキーの見解である。トテモ興味深い分析なので、ぜひお読みいただきたい。

 

 「<前略>すでに形骸化していた極東の均衡はとりかえしのつかないまでに破壊された。今日、日本は資本主義国家の鉄の顎で不幸な朝鮮を思うさま噛み砕きつつあるー

 しかし、中国とインドという二人のアジアの巨人に比べたら、日本など何であろう。これら両国は資本主義的繁栄のためにその神聖な孤立とカスト的な停滞を熱病的に清算しつつある。

 <中略>そこでなしとげられつつある政治的革新は、縛りつけられていた東洋の力を解き放ち、物質文化の発展に強力な衝撃を与えずにはおかないであろうーそしておそらくその結果、歴史的発展の重心はアジア大陸に移るであろう。

 前世紀のはじめ、イギリスはヨーロッパの工場だった。その世紀の終りには、ヨーロッパは世界の工場となった。今日アメリカとドイツの工業によって押し退けられたイギリスは、単に世界資本主義の銭箱にすぎない。今度は全ヨーロッパがアジアの工業に押しまくられる日も遠くはあるまい。アジアは「老衰」から新たな青春へとよみがえりつつあり、富裕であるとはいえ老衰しつつあるヨーロッパを、自らの銀行のオフィスにしてしまおうとしている。」(本書6~7頁)

 

 トロツキーが二十八歳の文章である。彼は後年、一国社会主義建設をめざしたソヴィエトが崩壊するという分析をしているが、彼の予想より少し遅れはしたが確かに崩壊した。上掲の文章は世界の歴史的発展の重心はアメリカ・ヨーロッパから中国・インドを中心にしたアジア大陸に移行するという分析だった。ひょっとしたら二十一世紀はそういう時代が展開するのだろうか。

 私のオシャベリは悪いクセでしばしば脇道を歩いてしまう。本道に戻ってトロツキーの思想・芸術・文学に対する言葉を傾聴しよう。

 

 「政治の曲線が下降線をたどるときには、愚鈍が社会思想のなかに君臨する。」(本書67頁)

 

 この文章が書かれた頃、つまり一九〇五年のロシア革命の挫折後、反動的な政治と共に、未来を失ったその場限りの、無責任な思想や芸術が繁殖したのだった。本書百二十八頁の言葉を借りれば、政治が下降線をたどる反動期には、「社会的無関心、歴史的不信、精神的荒廃」、こう言った特徴が思想・芸術・文学に現われてくる。神秘主義、虚無主義、未来派……などなど。というのも、大局的に見れば、ロシアであれヨーロッパであれ「インテリゲンチャの大部分は、産業の利潤か、地代か、国家の予算かで生計を営んでいるのであり、資本家階級ないしは資本主義国家に直接的ないし間接的に依存している。」(本書209頁)。ただ、この文章は本書の第二章でヨーロッパの芸術を分析したもので、この当時のロシアの場合、ツァーリの専制政府への依存も付け加えておく必要があるのだが。

 ともあれ、人類が初めて経験した未曾有の大量殺人劇、独占資本主義国それぞれの不均等発展を主原因にして発生した第一次世界大戦、本書はそれに至るまでの六年余りの歳月に現われたロシアおよびヨーロッパの芸術がいかに退廃して内容よりも形式を重視するようになったか、極論すれば言葉の意味や概念を切り捨てて言葉そのものの価値だけを追究するようになったのか、未来とそれにともなう理想を失ったインテリが神秘主義やデカダンやエロスなどの内容の乏しい個人主義に惑溺したか、トロツキーはこれでもか! 時にユーモアを交えながら詳細に分析していく。

 ただ、私に関して言えば、トロツキーが「文学と革命」の中で批判して切り捨てているベールイやザミャーチンなどの作品が好きだ。一九一六年に発表されたベールイの「ペテルブルグ」、一九二〇年から二一年に書かれたザミャーチンの「われら」、特にこの「われら」という作品は、政治的には一九一七年十二月にレーニンが創った秘密警察「チェーカー」を批判したもので、レーニンを尊敬するトロツキーには断じて許せなかっただろう。というより、おそらく赤衛軍を指導したトロツキーも「チェーカー」の存在を少なくとも容認したのではなかったか。後年、スターリンの管理下に置かれた秘密警察によって数知れぬ「トロツキスト」が粛清されるのだが。

 それはさておき、トロツキーにとって芦屋の片隅に住む私は無に等しい存在ではあるが、偉大な革命家との感受性の誤差を見つめて、大切にしたい。