芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ベールイの「ペテルブルグ」

 私がこの本に手を出した理由は、はなはだ単純なものだった。過日、私はトロツキーの「文学と革命」第Ⅰ部を読んだ時、彼がさまざまな作家を批判しているのを目にした。元来、私は他人を批判している人の意見だけではなく、批判されている側の人の意見も調べてみないと気が済まない性格だった。特にトロツキーが強烈に批判している或る作家の作風に興味を持った。その結果、私は彼が批判している或る作家の作品にまで手を出した次第だった。

 

 「ペテルブルグ」 ベールイ著 上 1999年12月10日第一刷発行

  同書            下 2000年1月10日第一刷発行

(両書とも川端香男里訳、講談社文芸文庫)

 

 翻訳者によれば、原作は一九一六年、著者三十六歳の時に発表され、一九二二年に改稿されているが、翻訳は改稿されたベルリン版を採用し、適宜初稿を生かしている。初稿はロシア革命前夜、改稿はその数年後に発表されたものだった。

 さて、ベールイは一八八〇年にモスクワで生まれ、トロツキーは一八七九年に生まれている。ふたりはロシア世紀末に誕生した同時代人である。また、ベールイはモスクワ大学数学教授を父としてこの世に生を受け、他方、トロツキーは富農の息子として誕生した。いずれにしても、その後の二十歳くらいまでの二人の生活を追えば、あくまで外見から判断すると、進んだ道は異なってはいるが、彼等は共にトロツキーが規定する所謂「小ブルジョア・インテリゲンチア」だったと言ってよい。

 トロツキーはもちろんこの「ペテルブルグ」も読み、同じ著者の「アレクサンドル・ブロークの追想」などにも言及している。言うまでもなく「文学と革命」第Ⅰ部は一九二三年に発表され、革命前後に発表された文学作品を批評したものだった。

 まず、トロツキーはベールイの作品をどのようにとらえているか、以下に引用してみる。(「文学と革命」第Ⅰ部は、内村剛介訳、現代思潮社刊、一九六九年五月一日第一版から引用した)

 

「気分とつかみ方において頽凋的な、そして、技巧において繊細をきわめる革命中間期(一九〇五年―一九一七年)の個人主義的、象徴主義的、神秘論的文学の最も濃縮した表現、それはベールイにみられるものであり<中略>彼の筆名そのものが、革命に対立する彼の立場を示していると言わせてもらってよい」(「文学と革命」38頁)

 

 つまり、ベールイという筆名は、ロシア語で「白」を意味する。赤衛軍を統率したトロツキーにしてみれば、「白」はまさに反革命軍だった。しかし、この文章を見れば、トロツキーにしてベールイの作家としての力量は認めざるを得なかったようだ。先に進もう。

 トロツキーはベールイの「ペテルブルグ」についてはこのように述べている。

 

「ベールイが、あらゆるものを廻りくどいやり方で扱うということは、まさに本当だ。彼の『ペテルブルグ』は全部廻りくどい方法で作られている<中略>これは言うなれば部屋のなかに入るのに煙突を通るといったことをやり、そこから出たときはじめて部屋に入口があり、そこを通った方がはるかに簡単だと分るといったことと同じだ。」(「文学と革命」40~41頁)

 

 そうだろうか? 人生はそれほど直線的ではなく、いや、そうじゃなくって、紆余曲折である故に、共感し感銘するのではないだろうか? それはさておき、トロツキーはまた、言葉のイメージと音響的価値に対するベールイの功績を認めながらも、言葉に含まれている以上のものを言葉に求めるベールイ文学をこのように批判している。

 

「ベールイは、ピタゴラス派の学者が数学のなかに求めたように、別の特別な、隠された神秘的な意味を言語のなかに求めているのである。」(「文学と革命」41頁)

 

 この後、トロツキーはベールイを罵倒するのだが、ベールイの作品はこの「ペテルブルグ」しか読んでいない私には何故こんなにメチャクチャに批判するのかよくわからない。おそらくルドルフ・シタイネルの「人智学」の追随者となったベールイがその立場からロシア革命を批判しているのかも知れない。そういう訳で革命を主導しそれを成功させたトロツキーはトテモ激昂しているのかも知れない。しかし、私は思うに、小ブルジョア・インテリゲンチアの中でもとりわけ「ペテルブルグ」のような現実と悪夢が混沌し錯乱した世界を従来にはなかったイメージを駆使して結晶した作品を完成するベールイのような作家は、そんなに痛烈に攻撃しないでむしろそっとしておいた方がいいのではあるまいか?

 確かにトロツキーが指摘するまでもなく「ペテルブルグ」を読んだ限りベールイは徹底した個人主義者だったろう、少なくとも私はそう思う。だがしかし、徹底した個人主義者は革命家からこれほどまで猛烈に批判されなければならないのだろうか? 自らの「魂の遍歴」を凝視する眼差しは、そしてその眼差しに映じた世界を彼自身の独自なイメージで精密に純化して表現することは、はたして邪道であるのだろうか?