芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

トロツキーの「裏切られた革命」

 この本の著者は、私のような自営業者は小ブルジョア個人主義者だ、そう規定している。まさにその通りだと思う。私は徹底した小ブルジョア個人主義者に間違いはない。

 この本の著者は言う、

 

 「既存事実を崇拝するものは誰でも未来を準備することは出来ないのだ。」(本書9頁)

 

 恐ろしい言葉だ。しかし、よくよく考えてみれば、私は既存事実を崇拝しているわけでもなく、この現実の中で自分なりに生きているのであって、その上、命ある限り明日も自分なりに生きているだろう。横道にそれてしまった。先にあげた著者の言葉は私たちを批判するためではなく、一九三五年前後のソヴィエト連邦を批判的に理解するために書かれたものだった。

 

「裏切られた革命」 トロツキー著 対馬忠行・西田勲訳 現代思潮社 一九六九年四月三十日初版第一刷

 

 何故、一九三五年前後のソヴィエト連邦を論じているのか、言うまでもなくこの本の著者は亡命先のメキシコで一九四〇年にスターリンの刺客によって暗殺されているのであってみれば、アメリカから端を発した世界恐慌がようやく回復し始めた頃のソヴィエト連邦を対象にしているのであって、著者は第二次世界大戦の結末をも知らずこの世を去っている。

 ロシア革命をレーニンと共に主導しながら、その後スターリンとの政治闘争に敗れ、国外追放され、同時に、スターリンの反対派の同志が大量に処刑された時代だった。この状況下で、著者は亡命先で反スターリン運動を展開しながら、数多の著作を書いている。信じがたい男だ。社会主義革命のためにこの地球にやって来たような男だ。

 スターリン批判に関して言えば、一九五三年のスターリンの死去以来、夥しいスターリン批判が出ていて、ネットで調べても客観的に分析されたさまざまな文章を読むことが出来るだろう。ただ、本書「裏切られた革命」は、ソヴィエト連邦を本格的に論じた最初の文献ではないだろうか。専門家でも何でもない一介の小ブルジョア個人主義者に過ぎない私のアヤフヤな発言だが。

 ところで、この本を読んでいると、著者の社会主義革命に対する考え方の根底には、資本主義社会よりももっと豊かで自由な社会を創造しなければならないという強い使命感がある、少なくとも私はそのように理解した。

 

「歴史はその本源的な基礎に還元すれば、労働時間の節約のための闘争以外の何ものでもない。社会主義はひとり搾取の廃止によって正当化されるのではない。それは資本主義によって保証されるよりも、もっと高度の時間の節約を保証しなければならない。」(本書84頁)

 

 私はゴリゴリの個人主義者に過ぎないが、革命を志す若い人にはトロツキーのこの使命感を学んでいただきたい。老婆心ながら、そう思っている次第だ。

 この本にはふたつの付録が付いていて、付録二「私は私の生命を賭ける!」、これは一九三七年二月九日のトロツキーの演説のテクストだが、その中でこんな言葉が書かれている。

 

「スターリン体制は必ず崩壊する。これにとって代わるものは、資本主義的反革命か、それとも労働者の民主主義か? 歴史はまだこの問題を決定していない。決定はまた世界プロレタリアートの活動にも依存している。」(本書346頁)

 

 やはり、トロツキーは革命のためにこの地球にやって来たのだ。