芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

吉本隆明の「高村光太郎(飯塚書店版)」を読む。

 私は十七歳の時、岩波文庫の「高村光太郎詩集」を買い、一読したきり、それ以来ほとんど手にしていない。その当時の私の心に高村光太郎の言葉は、傲慢かも知れないが、キレイ事だ、そう映じた。

 

 「高村光太郎(飯塚書店版)」 吉本隆明資料集43 猫々堂 2005年2月20日発行

 

 一九二四年に生まれた吉本隆明は、傾倒していた詩人高村光太郎が太平洋戦争に日本が敗北する間際、一九四五年四月二日、朝日新聞に発表した「琉球決戦」という詩にも感動した自分を、この本で明らかにしている。吉本隆明、二十歳。

 

 全日本の全日本人よ、

 琉球のために全力を挙げよ。

 敵すでに犠牲を惜しまず、

 これ吾が神機の到来なり。

 全日本の全日本人よ、

 起って琉球に血液を送れ。「琉球決戦」10~15行(本書147頁から引用)

 

 この辺りの前後の文章を読んでいて思うに、おそらく吉本隆明は一億玉砕を信じていた青年だったろう。連合軍上陸に当たって、本土決戦で命を捨てる覚悟だったろう。

 この「高村光太郎」という本は、吉本隆明が戦前敬愛していた詩人高村光太郎と戦後必死で格闘することによって、敗戦の挫折・絶望を超えてもう一度この世を生き抜かんとした心の記録と言っていいだろう。

 周知の通り、先進国から遅れて資本主義体制に移行した日本は、封建体制と熾烈に戦ったブルジョア革命を経験しないで、いまだ江戸時代を引きずって封建的遺制を残したまま、否、むしろ天皇制と封建的感性を積極的に利用して国内統一を図り、富国強兵の旗を立てて国民を駆りたてて、国家建設に猛進した。従って、明治以降、西洋に強く影響されて形成されてきた日本の知識人の近代的自我は、暗い封建的遺制を心の底に引きずったまま成立したと言っていいのではないか。言い換えれば、封建的感性を徹底して自己否定する過程を経ず、いきなり近代的知識人として明治を生きねばならなかった。

 とりわけ、アメリカ・イギリス・フランスに海外留学し、日本彫刻界を代表する高村光雲を父とする高村光太郎は、日本でももっともしっかりした近代的自我を確立した知識人だった。その高村光太郎が、国家権力に弾圧されたり洗脳されたりしたのではなく、脆弱だった近代的自我が崩壊していく果てに、自分から全身をこめて日本ファシズムに協力する道を歩む。敗戦間際、一切の外部世界の現実を切り捨て、つまり、眼前に存在するB29の空爆、焼夷弾で荒廃した焼け野原の東京を重大な事実と認識しないで、内部世界だけで成立する一元的精神主義に高村光太郎は到達する。

 日本ファシズムへの道を自己決定した敬愛する高村光太郎を根底から理解し、根底から批判するこの「高村光太郎」という本を読み終えて閉じた時、私の眼に、吉本隆明の痛々しい自己処罰の姿が映じていた。