芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

TIBET BURNING

おそらく雲海は高度6000m辺りをいちめんに覆っているのだろう、そこからヒマラヤの山々が突き出して白く輝いている。カトマンズには12時45分着の予定だから、今はほとんど正午、そんな純白世界の中をボクとそのワイフを乗せてタイ航空TG319便は軽快に飛んでいる。

こんなふうに書き出したからといって、しかしボクは日本では決して体験できないあれこれ、例えば熱帯のジャングル、チトワンでのカヌーの川下りで、その川の名はブディーラプティーというのだが、岸辺のあちこちでひなたぼっこしてる獰猛なヌマワニ、あるいは朝日に浮かび出た8000m級のヒマラヤの山々、そのヒマラヤの中腹を北のジョムソンに向かって小型旅客機が飛んで行く、そうした経験をあなたにあらいざらいおしゃべりするのは後の日の居酒屋のためにとっておこうと思う。

ふたつだけお便りしておきたい。

ポカラのフェワ湖でボクとそのワイフ、ネワール人のガイドジーバンさんの三人でボートに乗り、小島へ渡って、小さな寺院をたずねた。バラヒ寺院。境内の北東の一隅にイケニエの儀式のための斎場がある。ボクはみやげもの屋の店先をのぞいて、
「これ、ヤシの実?」
「ソウデス。ココナッツ、デス。アノ場所デ、オスノ水牛、ヤギ、アヒル、ニワトリ、犠牲二シマス。オス悪イデス、悪魔住ンデマス。ダカラオスダケ犠牲ニシマス。コノ儀式トテモ残酷ダト言ッテ、代ワリニココナッツ捧ゲル人イマス。昔、人間モ捧ゲテイマシタ」とミスタージーバン。

フレイザーの「金枝篇」の世界。ネパールではこんな犠牲の儀式はほうぼうで散見する。おそらく先住民の宗教と侵入してきたヒンドゥー教が複合したのだろう。ジーバンさんは続けた、
「ワタシタチ仏教徒、コンナ儀式ナイデスネ」

念のため付言するなら、ジーバンさんはネパール国内のネワール人で日常生活ではネワール語で会話する。公用語はネパール語、ガイドというビジネスのため英語と日本語をしゃべっている。

ポカラ観光の定番、デヴィズ・フォール、グプテシュワール・マハーデヴ洞窟を見学した後、タシリン・チベット難民キャンプへ立ち寄った。1959年3月、チベットを侵略した中国軍から逃れたチベット人の難民キャンプ。余程のことがない限り、さまざまな事情で米国などに亡命できた人も少数いるが、彼等はここから出られない。一生をこのキャンプで暮らしている。新しい世代も生まれ、学校も建てられているが。ボクとそのワイフは織物工場を見学して、工場といっても幅10m奥行5m前後のバラックだが、入口に募金箱が置いてあり、ボクは5ドル入れたのを記憶している。

その工場の横に比較的新しい展示場の建物があり、チベット人が作った絨毯などを展示している。すべての作品を見て回り、すべての作品といっても左程広くはない一室に絨毯や玄関マットなどが展示されているだけなのだが、ボクとそのワイフは15ドルでチベット仏教のマンダラを描いたタペストリーを購入した。我が家のダイニングの壁にかかったそのタペストリーを眺めながら、同時にまた脳裏にあの難民キャンプを再現して、いま、ボクはこの思い出を書き続け……

展示場を出て左へ折れると、側壁に5m四方くらいの大きなポスターがはってある。一番上に「TIBET BURNING」と大書して、その下に30cm角ほどの桝目に区切られて数多くのパスポートに似た写真が印刷されている。笑ったり、ちょっとしかつめらしい顔をしていたり、くったくのない表情でボクとそのワイフに挨拶を送ってくれるのだが、ほとんどがまだ若い僧侶で、その内何枚かの顔は既に黒く変色して、火炎の中で燃えあがっているのだった。