芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

シュロモ・ヴェネツィアの<私はガス室の「特殊任務」をしていた>

 この本の著者は、子供の頃、父が理髪店をやっていたので、バリカンの使い方を知っていた。この能力があるため、アウシュヴィッツ強制収容所で囚人の毛を剃る手伝いをするのと引き換えに、ひとかけらのパンにありつくことが出来た。著者はこう言う。

 

<こういうことがあるので、私がよく言うのは、子供の頃に苦労して、ひとりでなんとかする術を身につけた者のほうが、恵まれた人たちより収容所では順応でき、生き延びられるということです。収容所で生き延びるには、哲学ではなく、役に立つことを知っていないといけない。おかげでその日私は、ありがたいパンを手にすることができたのですから。>(本書85頁)

 

 <私はガス室の「特殊任務」をしていた> シュロモ・ヴェネツィア著 鳥取絹子訳 河出文庫 2018年4月20日初版

 

 この本の書名の通り、ギリシャのテッサロニキ生まれのイタリア系ユダヤ人であった著者は、一九四四年四月十一日アウシュヴィッツに強制送還され、その後ビルケナウ収容所で「特殊任務」に従事した。この特殊任務部隊は、SS(ナチス親衛隊)がユダヤ人を大量に虐殺するための雑用係をユダヤ人から選別した集団であるが、どのような雑用の内容だったのかを、マルチェッロ・ペゼェティのこの文章は端的にまとめあげている。

 

<十二時間労働の二交替制で強制的にやらされた「汚い仕事」の流れ作業は、脱衣室で犠牲者につきそって、待ち受ける悲劇な運命を感づかれないようにできるだけ早く服を脱ぐ助けをし、SSが犠牲者をガスで殺しているあいだに彼らの衣類を集め、ガス室から遺体を出し、義歯と金歯を抜き、女性の髪を切り、これらの遺体を焼却炉または野外の共同墓穴で焼き、遺骨を砕いて遺灰をヴィスワ川に捨て、ガス室を掃除して壁を石灰で白くし、次の「処理」に備えることだった。どんな場合にも、特殊任務部隊の隊員がガス殺の行為に加わることはなかった。>(本書269~270頁)

 

 そして、次の点も強調しておかなければならない。この本の訳者の文章を引用する。

 

<ガス室の中を知り尽くす立場にあった特殊任務部隊員は、ナチスによって情報が外部に漏れないよう定期的に抹殺されていたのですが、わずかながら生き残った人もいて、著者のシュロモ・ヴェネツィアはそのひとりです。>(本書283~284頁)

 

 例えば、ちょっと想像して欲しい。某国、仮にその国を「卍」として、その「卍」が日本人絶滅作戦を実行し、日本人を次から次へと霞ヶ関に建設した強制収容所に収容、まず、ガス室で抹殺、その死体を焼却炉で焼き、人骨は粉砕して隅田川に流し、抹殺の証拠を隠滅する。その間、ガス室に入る数百人の犠牲者が脱衣室で衣服を速やかに脱ぐのをお手伝いしたり、ガス室に積み重なってヌルヌル湿った死体を引きずり出し、次の犠牲者のためにガス室を洗浄、その間に他の特殊隊員は死体を焼却炉に運んで焼却、残存した人骨を粉砕、隅田川に遺棄する。そんな力仕事を「特殊任務」として若くて元気そうな日本人を選抜するのだが、もちろん、この特殊任務部隊を口封じするために、定期的に彼らを抹殺する。これは日本人という存在を完全に破壊する人智を超えた絶滅システムだろう。

 だが、もう一歩突っ込んで想像して欲しい。この状況に近いシステム、自分たちの利益のためには他人を完全否定するシステム、あるいは、それを積極的に運営する組織、その方向に傾斜してゆく「卍」集団が既に日本にも存在しているのかも知れない。

 著者シュロモ・ヴェネツィアはこう言っている。

 

<すべてが収容所に結びつきます。何をしても、何を見ても、心が必ず同じ場所に戻るのです。あすこで強いられた≪仕事≫が頭から出ていくことは決してない……。

 焼却棟からは永遠に出られないのです。>(本書243頁)