芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

四十年ぶりに、原民喜を読んだ。

 綺麗な音楽を聴いた。悪魔的な人間たちの無制限な欲望の果て、この世に出現した「広島」という地獄的虚無を描きながら、何故これほどにまで美しい、透明な調べがボクの胸を打つのだろうか。

 「夏の花・心願の国」 原民喜著 新潮文庫 昭和51年4月15日五刷

 おそらく、原民喜の文章の根底に愛が、それは哲学的な概念的な愛ではなく、亡き妻と生前、深く愛しあった歳月から満ちあふれてくる愛があるからだ、ボクはそんな気持がした。

 「そして、妻よ、お前はいる、殆ど僕の見わたすところに、最も近く最も遥かなところまで、最も切なる祈りのように。」(「鎮魂歌」本書224頁) 

 また、こんなふうにも表現している。

 「妻と死別れてから後の僕の作品は、その殆どすべてが、それぞれ遺書だったような気がします。」(「心願の国」本書252頁)

 この本は、原民喜が戦後に書いた十二篇の作品で構成されている。昭和十九年九月二十八日に糖尿病と結核で闘病していた妻貞恵を亡くし、翌二十年八月六日、彼は疎開していた郷里の広島で原子爆弾に被災する。この作品集に収録されている「夏の花」は被災した年に書かれたが、GHQを恐れて、昭和二十二年六月、「三田文学」に発表された。
 先に述べたが、原民喜の文章を読んでいると、透明な二重奏が開演され、高音部を亡き妻への愛が、低音部を原爆が投下された広島の地獄絵が、言うまでもなく、それはまた無制限な欲望から脱出出来ないこの世の姿を象徴しているのでもあるが、たがいに反響しながら、高音部が低音部を拒否し、低音部は高音部を拒否して、和解への道は鎖され、ついに、この作品全体が、武蔵野の線路上に彼が身を横たえて、壊滅したのだった。