芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

きょうも、志賀直哉の短編を読みました。

 不易流行という有名な言葉があるが、確かに人間の姿・形も歳月と共に変化していくが、十年ぶりに会った友達でも、「やあ、お元気?」、そんな挨拶が出来るのも、からだにも不易なるものがあるのだろう。それをボクラは「面影が残っている」、そう表現している。
 しかし、からだばかりではない。こころにも不易なるものがあって、不図自分のこころに幼かった頃の面影が浮かんでくる時がある。きょう、読み終えた本にも、そんな不易なるものの趣が漂っている。

 「灰色の月・万暦赤絵」 志賀直哉著 新潮文庫

 この本には、表題作を含めて、後期の志賀直哉の短編の作品二十三篇が収録されている。新潮文庫は全三冊五十九編の初期から後期までの短編で構成されているが、余談にはなるが、この中でもっとも暗い作品はこの集に収められた「灰色の月」だろう。この作品は敗戦後二ヵ月くらいが過ぎた夜の電車の中の、「どうしようもない」、暗い現実とそれに対応する心をもう六十歳を越えた志賀直哉がまるで日録のように語っている。すべての作品を読み終わった後、強い印象が残って、ボクは再読した。
 最晩年の作品も、強い印象を受けた。偶然性と、その背後にある何ものか、これを象徴する出来事を文章にしている。言うまでもなく、志賀直哉が八十歳で書いた「盲亀浮木」という名品であるが、別に解説を要するような作品ではなく、直接読んでいただく他はない。
 例えば、ボクが志賀直哉の短編小説を読み出したのも、ある夜、Aが、「志賀直哉の短編が好き」、そんなお話をしてくれたからだ。しかし、よくよく考えてみれば、ボクがAと出会ったのはまったくの偶然だったといっていい。
 そもそもこの歳になるまでボクはAとは赤の他人だった。それに、ボクは兵庫県の芦屋市に住んでいて、彼女は東京の某所に住まいしている。会ってお話しする確率はゼロとみなしていい。よしんば彼女が芦屋や神戸に住んでいても、おしゃべりする確率はほとんどゼロだろう。
 かくして、まったく偶然ではあるが、それにもかかわらず、背景にある無数の複雑な縁によって、彼女に出会い、もう一生読む予定ではなかった、いま流行の言葉を使えば「想定外だった」、志賀直哉の短編を、ボクは読んだ。