芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

「逸見猶吉詩集」再読

 この詩人の故郷、谷中村は水没した。
 周知のとおり、足尾銅山鉱毒事件に対して田中正造が中心となって村民と共に公害運動を闘っていたが、鉱毒を沈殿させるという名目で政府が谷中村に遊水地を作る案が出たため、一九〇四年七月三〇日、田中正造はこの地に移住、公害運動の拠点にしていた。
 しかし、彼等を排除するためだろう、谷中村を強制廃村して、一九〇七年七月一日、政府は土地収用法を適用、村に残れば犯罪者として逮捕すると恫喝した。そんな中、同年九月九日、詩人大野四郎(ペンネーム逸見猶吉)は谷中村で生まれた。彼の祖父も父も谷中村の村長だった。
 大野四郎、すなわち逸見猶吉は、自分の故郷が国家権力によって水没した出自を持つ稀有な詩人だった。現在まで彼の故郷は、渡良瀬川遊水地の「水底」で沈黙している。この「底」は、彼のこんな激烈な言葉へと疾走して行くのだろうか。

 ≪血ヲナガス北方 ココイラ グングン密度ノ深クナル
  北方 ドコカラモ離レテ 荒涼タル ウルトラマリンノ底ノ方ヘー≫(「報告」から。本書18頁)

 「定本逸見猶吉詩集」 編集・解説 菊池康雄、思潮社、1966年1月10日初版

 もう四十年以上も昔に買った本を再読するなんて露ほども思わなかった。だが、先ごろ読んだ「吉田一穂全集第二巻」には何度も逸見猶吉について言及されており、懐かしくてつい本棚の隅からこの本を抜き出した。ちなみに、吉田一穂はこんなふうに書いている。少し長いが引用する。彗星の如く出現した逸見猶吉の作品に驚愕した一穂の声まで聴こえるようである。

「私はこの中から初めての詩人逸見猶吉君の詩『ウルトラマリン』を声をあげて推讃する。その最も新らしい尖鋭的な表現・強靭な意志の新らしい戦慄美、彼は青天に歯を剥く雪原の狼であり、石と鉄の機構に擲弾して嘲ふ肉体であり、ウルトラマリンの虚無と否定の舌、氷の歯をもったテロリストである。この『学校』からの新しい出現は、表現上のマンネリズムに堕して視野を遮られていたプロレタリア詩派の地平線を拡大するものである。私は彼の詩を機契として、イズムの対立、或は分類上から詩を規定し、価値を決定する当否に就て、詩の価値は、内容或は方法の如何によって決定すべきでなく、詩作行為そのものが絶対的価値であるとテーゼして、更にその方法論、価値論、目的論、対象論等に渉って詩学の全般的問題を提出して置きたい。」(「定本吉田一穂全集」第二巻314、315頁。尚、この一穂の文章は「定本逸見猶吉詩集」の巻末の菊池康雄の丁寧な解説にも引用されている。)

 付言すれば、吉田一穂が言及している逸見猶吉の作品「報告」は草野心平が刊行していた詩誌「学校」第七号(1929年10月発行)に掲載され、その後、この「学校」の1929年版アンソロジーとして出版された伊藤信吉編纂「学校詩集」(同年12月発行)に逸見猶吉の絶唱「ウルトラマリン」(第一「報告」、第二「兇牙利的」、第三「死ト現象」)として発表された。さらに付言すれば、別のところで、吉田一穂はこう言っている。「詩を書くことは本然の生を生きたことだ。その行為がそのまま報いであるのだ。マラルメも逸見猶吉も生前、一冊の集も持たなかった。」(「定本吉田一穂全集」第二巻352頁)
 これ以上、逸見猶吉の詩についてボクは語る言葉を持たない。彼は別のところで書いているが、「自爆ノカギリヲ募ッテユクノダ」(「檻」から。本書43頁)と言っている通り、彼の内部のカオスが暴発して言語群が噴き出してくるのだが、この言語群をほとんど無意識の状態で記述している。そして、言語群は氷雪の荒れ狂う虚無と絶望の極北の方角に向かって疾駆する。あるいは、逆方向の「灼ケ熾カル」熱河(本書32頁)、焦熱地獄へ。すべては吹き千切られ、破砕される。ここでも、水没し、出自の失われた詩人の原体験の反響が聴こえなくもない。彼の作品が現代詩に少なからぬ影響を与えたのも、その理由の一端は、ボクラ自身、多くの人が既に出自消失者としてこの世を漂流しているからではないか。逸見猶吉は、明治以降の日本における公害によって故郷を水没・消失した初めての詩人である。
 三十代になって、彼は文語詩を書く。だが、満州の新京(現在の長春市)に渡って生活しても、中国の街、「哈爾浜」(ハルピン)や「海拉爾」(ハイラル)を詩で表現しているが、彼の出自への望郷の詩は書いていない。

 まこと止むに止まれぬ切なさは
 一望の山河いつさいに蔵せり(「黒竜江のほとりにて」から。本書116頁)