芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

「ヨブ記」、すべてを失った人の言葉。

 昔から、神を信じたら幸福な生活を送ることが出来る、宗派は違っても、行き着くところそれに類する宗教が多々あるのではないか。この考え方からすれば、結局、神は人間を幸福にするために存在するのであって、よくよく胸に手を当てて考えてみれば、人間の手前勝手で自分中心的な神的イデオロギーではないだろうか。
 従って、この自分中心的な神的イデオロギーの場合、神を信じても不幸がやって来れば、人間はその神を殺す、あるいはそこまではいかなくとも、その神を捨てる確率は極めて高いだろう。
 ユダヤの人々は、今からおおよそ二千五百年前後の太古から、この問題を先鋭化して言葉にしていた。いったい、あなたにとって、神とは何か?

 旧約聖書「ヨブ記」 関根正雄訳 岩波文庫 昭和46年6月16日第一刷

 神を畏れ、悪を遠ざけて生活していた大富豪のヨブという男は、ある日、突然、さまざまな出来事、いわゆる神の試練がやって来て、持てるもの全てを失ってしまう。すなわち、妻を除いて、すべての子供たち、七人の息子、三人の息女、そしてすべての財産、羊七千頭、駱駝三千頭、牛五百軛、雌驢馬五百頭。また、おびただしい僕婢たち。
 しかし、ヨブは立ち上がり、着物を裂き、頭をそり、地に平伏して、拝してこう言った。

 「裸でわたしは母の胎を出た、
 裸でわたしはかしこに帰ろう。
 ヤハウェ与え、ヤハウェ取りたもう。
 ヤハウェのみ名はほむべきかな」。(第一章二一)

 驚いたことに、すべての子供と財産・僕婢を失ったヨブは、それでもヤハウェを讃美し、祈りを捧げている。
 ちなみに、この「ヤハウェ」という言葉は、日本聖書協会の「旧約聖書」(一九五五年改訳)では、こうなっている。

 「主が与え、主が取られたのだ。
 主のみ名はほむべきかな」。

 そして、戦前の日本語で生活していた人々は文語訳の聖書で、このように読んでいただろう。

 エホバ與へエホバ取りたまふなり エホバの御名は讃べきかな

 だが、ヨブの不幸はこれだけではなかった。彼の身体の足裏から頭の天辺まで悪い腫物が出来た。ヨブの妻は、こう言った。

 「あなたはまだ自分を全きものにしているのですか。神を呪って死んだらよいのに」。(第二章九)

 しかし、ヨブは妻に答えた。

 「われわれは神から幸いをも受けるのだから、災いをも受けるべきではないか」(第二章一〇)

 この後、見舞いにやって来た三人の友とヨブとの対論が書かれている。長い討論だが、三人の友の基本的な考え方は、神を信じる者には幸福な生活が与えられ、不信仰な者には不幸な生活が与えられる、そんな因果応報の立場である。例えば、エリパズという友人はこのようにヨブを非難する。

 考えても御覧、誰が罪なくして滅びたか、
 正しい者で亡ぼされた者が何処にある。
 わたしの見るところでは、不法を耕す者、
 邪悪を蒔く者はその実を刈りとる。
 彼らは神のいきによって滅び
 その口のいぶきによって消え失せる。(第四章七~九)

 こうした友人たちの勧善懲悪、因果応報の神信仰に対して、ヨブはこう反論する。

 全き者も悪しき者も彼は滅ぼされる(第九章二二)

 つまり、信仰しようがしまいが、神は共に滅ぼしてしまう。さらに強く、悪徳は栄えるとヨブは主張する。

 何故悪人が生きながらえ
 年とってその富も増し加わるのか。(第二一章七)

 彼らは神に言う、「われわれから離れてください。
 あなたの道を知ることをわれわれは好みません。
 全能者は何者だとて彼に仕えねばならず、
 彼に願ったとて何の益があるのです」と。(第二一章一四~一五)

 もともとヨブは、彼を非難する友人たちより豊かな生活をしていたばかりではなく、神を畏れる深い信仰者として日々を送っていた。例えば、古代奴隷制の世界の中で、ヨブは驚くべき世界観を持っていた。

 もしわたしが奴隷や女奴隷の権利を
 彼らがわたしと争う時にしりぞけたとしたら
 神が立ち上がられるとき、どうしよう、
 彼が検べられるとき、わたしは何と答えよう。
 わたしを母の胎に造った方が彼をも造ったのではないか。
 一人の方がわれわれを腹の中に作ったのではないか。(第三一章一三~一五)

 このように、神の前では、主人であれ奴隷であれ、すべての人間は絶対平等である、そんな世界観を既に二千五百年前後の昔に、ヨブは一点の曇りもなく発見していた。
 ヨブは因果応報の論理で彼を非難する三人の友よりもはるかに義しい人でありながら、すべてを失ったばかりか、全身を腫物で覆われて、灰の上に座った。彼は口を開いて、自分の生まれた日を呪った。

 滅びよ、わたしが生まれた日(第三章三)

 何故苦しむものに光を賜い
 心悩める者に生命を賜うか(第三章二0)

 わたしはいつまでも生きることを望まない。
 わたしを離れて下さい、わが日は息に過ぎないのだから。
 人は何だというのであなたはこれを育て
 これにあなたのみ心をとめられるのか。(第七章一六~一七)

 ヨブは、信仰すれば幸福な生活が送れるという彼の三人の友が主張するそんな自分中心的な立場から遠く離れて、ただひとり神の前に立つ。キルケゴール風に言えば、いわゆる単独者の立場に立っている。ヨブは、神に向かってただ独り、絶望している自分を言葉で表現する。

 夜わが骨はわが中に砕かれ
 嚙まれるようなわが痛みはやむことがない。(第三〇章一七)

 彼はわたしを泥土の中に投げ込み
 わたしは塵灰に等しくなった。(第三〇章一九)

 げにわたしは知る、あなたはわたしを死なせ
 すべての生者の集められる所へ帰らせたもうことを。(第三〇章二三)

 わたしは山犬の兄弟となり
 だちょうの友となった。
 わが皮は黒くなってはげ落ち
 わが骨は熱さによって焼け
 わが琴は悲しみに変わり
 わが笛は嘆きの音となった。(第三〇章二九~三一)

 ヨブは、絶望して、神に反抗する。すなわち、ヨブでさえ、自分中心的な神信仰の立場に立っていたのである。彼は富を得たばかりではなく、その富を貧しい人々に分け与え、見知らぬ旅人が来れば門を開いて安息所を提供し、常に神に感謝して生活していた。彼は自分を義なる人と固く信じていた。その当時、その地方で、もっとも義なる人だ、ヨブはそう思っていた。しかし、神はヨブの生活を破壊した。彼は、義なる人をも破滅させる神を批判し、反抗する。
 けれども、最後に、神が出現し、ヨブにこう語った。

 地の基いをわたしがすえたとき君は何処にいたか。(第三八章四)

 当たり前の話だが、存在しているものはすべて、自分の力で自分を造ったのではなかった。「ヨブ記」によれば、すべては神が造ったのだった。もちろん、ヨブもまた、自分で自分を造ったのではなく、神に造られた存在だった。

 わたしはあなたのことを耳で聞いていましたが
 今やわたしの眼があなたを見たのです。
 それ故わたしは自分を否定し
 塵灰の中で悔改めます。(第四二章五~六)

 ひょっとしたら、このヨブの物語の通り、人間はどこまでも自分は正しい人だ、意識しようがしまいが自らを高くして常にウヌボレル存在なのかもしれない。しかし、ヨブのように、絶望して思いをこらせば、この自分もまた、自分で自分を造ったわけではなく、造られた存在だ、この単純な事実に気付くだろう。この事実に気付くことを、哲学では絶対否定と呼ぶのだろうか。そして、絶対否定されたままで、残された人生をヨブは感謝して生き、ある時、幸福に満ちたまま、消滅した。
 このように、「ヨブ記」の教えでは、ヤハウェがすべての存在しているものを造ったのだった。