芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

Uの死

 九月三日、月曜日。Uは息をひきとった。
 彼は、芦屋市立山手中学校在学中、ボクと同期生だった。
 中学三年生の時、ブラスバンド部で小太鼓を叩いていた彼、クラシックギターを弾いていたボク、このふたりでロックバンドを組んだ。彼はドラム、ボクはエレキギター。この当時、もう一九六四年の話だが、エレキギターを弾く少年は、不良少年と呼ばれた。
 その夏、ボクラは、甲子園球場からさらに南へくだった海岸近くにあったプールサイドで、初めての演奏会をした、たったふたりだけで。その頃、若者のあいだでとても流行していたベンチャーズのコピー演奏。
 九月四日、火曜日。強い台風が暴れていた。ボクの住んでいる街の海岸、芦屋浜の防波堤を越えて、高潮がやって来た。役所の緊急車両が、「緊急避難してください」、町内を駆け巡っていた。しかし、現状をそのまま放置して緊急避難していると、床上浸水していたかもしれない。
 高潮に運ばれてきたゴミや防風林から飛ばされた松の枝や葉が排水溝を塞いで道路がプール状態になっていた。これに気付いた住民たちは避難しないで、暴風雨の中、力をあわせて、排水溝からゴミを取り除く作業を続けた。あふれていた海水の水位は下がった。
 こんなアクシデントもあり、Uの出棺は遅れた。
 九月六日、木曜日。午前十一時。彼は住み慣れたマンションを後にした。無宗教の彼は、通夜も葬儀もしないで、家族とわずかな友人に見送られた。
 Uは一年五ヶ月の闘病生活を送った。
 食道ガンだった。