芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

宇野弘蔵の「価値論」、「価値論の研究」

 もうずいぶん古い話だが、ボクは二十歳前後から二十代半ばまでの五、六年間、経済学の本をよく読んだ記憶がある。
 経済学といっても、マルクスの「資本論」と、その理論を基礎にして厳密な社会科学としての経済学を構築した宇野弘蔵の諸著作である。

 「価値論」 宇野弘蔵著(1965年9月20日発行、青木書店)
 (この著作は、1947年河出書房から発行され、上記の通り再刊された)

 「価値論の研究」 宇野弘蔵著(1952年9月20日発行、東京大学出版会)

 周知のとおり、著者はこの二作の間に、「経済原論、上」(1950年12月15日岩波書店)、「経済原論、下」(1952年3月5日岩波書店)を発表している。衝撃的な経済学の作品が戦後日本に登場したのだが、残念ながらボクには記憶がない。その当時、ボクは一歳から二歳だった。重要な著作なので、いずれ再読して、ブログに書いてみたい。
 さて、今回、「価値論」と「価値論の研究」の二冊をあわせて読んだが、宇野理論の出発点といっていい「価値論」と、この著作のさまざまな批判に対する著者の反批判を中心に収めた「価値論の研究」は、あわせて読むべきだとボクは思う。というのも、どちらかというと「価値論」より「価値論の研究」の方が文章が平明になっていてわかりやすい。「価値論の研究」は「価値論」を理解する手引書にもなっている。
 「価値論」の文章がわかりづらい主な理由は、従来誰も考えなかったマルクスの「資本論」の不純な論理展開を批判し、さらに純化し厳密にしていく困難な作業を、著者ただ独りで手探りで遂行しているからだろう。著者の息づかいさえ聴こえる文章は、まさに新しい思想が誕生する原風景だといっていい。
 宇野弘蔵の経済学に関しては、既に多くの識者に論じられており、ボクのような経済学の門外漢のよくするところではない。では、なぜ、若い頃、ボクは宇野弘蔵の本を熱心に熟読したのだろう。
 宇野弘蔵によれば、人間が普遍的に実現している経済原則を、私有財産制度と分業を基本にする資本主義社会は商品経済によってそれを実現している。また、経済原則を実現できなければ、いかなる社会制度といえども成立しない。言葉を変えて言えば、人間の頭の中で考えられた概念やイデアなどではなく、意識しようがしまいが、それを無視しては人間の世界がそもそも成立しない人間の普遍性を、歴史的に事実存在する経済原則として明確にした。ボクが宇野理論に感動したもっとも深い理由である。