芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

アドルフ・ヒトラーの「わが闘争ー民族主義的世界観」

 このところ、所謂「アウシュヴィッツの文学」を読み続けている私は、強制収容所の被収容者およびその関係者の文献だけでなく、確かに「アウシュヴィッツ強制収容所」所長ルドルフ・ヘスの「獄中記」は既に読んではいるが、やはり、強制収容所の施主兼社長と言っていいアドルフ・ヒトラーの作品も訪ねなければ公平性に欠ける、熟慮した上、この本を読むんだ、そう結論した。

 

 「わが闘争(上)Ⅰ.民族主義的世界観」 アドルフ・ヒトラー著 平野一郎、将積茂訳 角川文庫 平成26年2月26日改版26版

 

 解説によれば、この本の原本は、一九二五年発行の初版を再版した一九二六年の第二版を翻訳したものである。この本の著者は、一九二三年十一月八日、ミュンヘンのビアホールでバイエルン州政府を転覆するため暴動を起こし、逮捕され、レヒ河畔のランツベルク要塞拘置所(その後、ハウス・ヴァッヘンフェルト)に収容されたが、その時に口述し、ルドルフ・ヘス(アウシュヴィッツ強制収容所所長ではなく、親衛隊大将のルドルフ・ヘスで一九四一年五月十日自ら飛行機を操縦してイギリスに亡命した)らが筆記・整理したのが本書である。この当時のヒトラーのようなドイツ軍上がりの軍国主義者は拘置所でも優遇されていたので口述筆記も可能だった。

 この本は、第一次世界大戦で敗戦し、一九一九年六月二十八日、連合国と締結したヴェルサイユ条約によって、巨額賠償金を請求されたドイツが、ちょうど著者がミュンヘンで蜂起した一九二三年当時ではドイツ貨幣のマルクがおよそ一兆倍に下落するというハイパーインフレに象徴される凄まじい言語を絶する荒廃した状況の中で、著者ヒトラーが指揮する国家社会主義ドイツ労働者党は如何なる理念で政治活動を実践するのか、その理念を、何度も繰り返し演説し宣伝する、そういう特徴を持っている。なぜ同じことを何度も繰り返し演説し宣伝するのか、その理由はこうである。

 

 「宣伝を賢明に、継続して使用すれば、国民自身に天国を地獄と思わせることができるし、逆に、きわめてみじめな生活を極楽と思わせることもできる。このことは、ユダヤ人だけが知っていたのであり、かれらはそれに即応して行動していたのだ」(本書359頁)

 

 ここでユダヤ人と著者がわざわざ指摘しているのも、単に金融資本家として経済の根幹を握ったユダヤ人だけではなく、ユダヤ人カール・マルクスの思想を中心にして革命運動を扇動するユダヤ人マルクス主義者が資本主義社会を破壊しようと労働者を洗脳している宣伝活動が成功しているその当時の状況を強調するためであろう。また同時に、第一次世界大戦はドイツのユダヤ人を中心にした社会民主党や共産主義者や新聞・マスコミが戦争に反対して兵士の背中を突いたので、戦意喪失、敗戦に至った、ドイツの特に軍国主義者が流しているそんなデマゴギーも背景にあるのだろう。

 ご存じの方は多々あるかとも思うが、この本の著者は、大衆は愚民だ、そう規定しているので、愚民でも理解できる簡単明瞭な理念やスローガンを何度も繰り返し演説・宣伝し、その理念で愚民を熱狂させて、命を賭してドイツ国家に忠誠する人民を組織せんと企図する。ここで注意しなければならないのは、ユダヤ人マルクス主義者は、例えば、「万国の労働者、団結せよ!」というスローガンの通り国際主義であるが、著者の場合、国際主義ではなくドイツ民族至上主義で労働者・人民を洗脳する。著者は、その理念を、このように表現している。

 

 「われわれが闘争すべき目的は、わが人種、わが民族の存立と増殖の確保、民族の子らの扶養、血の純潔の維持、祖国の自由と独立であり、またわが民族が万物の創造主から委託された使命を達成するまで、生育できることを目的としている」(本書278頁)

 

 しかしなぜこれほどまで「わが人種」・「わが民族」を連呼するのかと言えば、アーリア系のゲルマン民族ドイツ人が地球上でもっとも優良な人種だからであった。従って、ドイツ人はドイツ人以外との交配を禁止し、なぜなら優良種が劣等種と交配するとその血が流れた子孫は肉体ばかりか、精神に至るまで退行し廃疾する。非アーリア系、特にユダヤ人は人類を退行・廃疾させようと企んでいるので、破壊しなければならない。結論すれば、私が思うに、著者の演説・宣伝、すべからくかくの如し。

 また、ドイツ人は高貴な民族であるから、自己保存ができない場合、つまり、ドイツ人全員の食料が確保できなくなると、国民の困窮という理由から国外領土を獲得する道徳的権利が生ずる、これが著者の主張だった。いや、よくよく考えてみれば、古代から、自分の国や民族の平和・繁栄を願って、他の国や民族を支配下に置き奴隷化するため、強者は反抗する弱者を暴力(戦争)によって粉砕した歴史は、紀元前五世紀前後に成立したギリシア悲劇を一読しても、うなずける。アテネの民主主義は奴隷制度の上に成立した。自国の平和と繁栄のために他国を侵略する平和・繁栄のための戦争は歴史の必然だった、これを批判する連中は、ユダヤに汚染された平和主義者のインテリや社会民主党や新聞・マスコミだ。作者は強くそう主張する。彼は言う、害虫は抹殺する。

 読者は薄々感づいているだろうが、ドイツ民族至上主義を念仏のように称えるアドルフ・ヒトラー自身の不明瞭な出自を、私はここでは問わない。生前、彼もまた自らの出生の詳細は語るのを控えていた。それを問わないにしても、でも、どうして、彼は、自分の立場や主張を、あるいはこう言ってよければ、自分の理念を絶対化するのだろう、そして、とりわけ、どうして自分に反対する者やユダヤ人・ジプシーたちを、結局、最後は、暴力で粉砕するのだろう。反対者やユダヤ人たちは、ある日、ゲシュタポに連行され、就労可能の者は薄いスープと小さなパンで奴隷労働を強いられ、老人や子供や就労不能者あるいは奴隷労働の果て就労不能になった者は、どうして焼却炉の煙突から煙になって昇天するのだろう。私には、どんな崇高な理論を熱っぽく並び立てられても、否、それはわかりません、お引き取りください、きっぱり拒否する以外の道はない。そして、この本を読んだ方におすすめするのだが、これからは一切この自分を、自分の理念を絶対化しない、そんな道をぜひ探して欲しい。

 余談になるが、現代流に言えば「ヘイトスピーチ」、いまネットで騒がれている憎悪表現や差別扇動のことだが、この本はそのヘイトスピーチの宝庫だと言っていい。ヘイトスピーチを好む方には、必読書だ。演説の天才ヒトラーは、「ユダヤ人という害虫をただちに根こそぎ抹殺する!」、恐らく声を張り上げて熱情的にドイツの民衆に訴えたのではなかったか。群衆を前にした彼のそういうシーンを眼前にまざまざ彷彿させる一冊だった。