芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ホルヘ・センプルンの「ブーヘンヴァルトの日曜日」

 ナチスドイツの製作した人間破壊装置、いわゆる強制収容所を中心にして書かれた作品の中では、これは極めて異色な物語だった。

 

 「ブーヘンヴァルトの日曜日」 ホルヘ・センプルン著 宇京頼三訳 紀伊國屋書店 1995年12月22日第1刷

 

 内容に関しては、訳者の丁寧な解説が付いているが、この作品に関して言えば、著者センプルンが収容されたブーヘンヴァルト収容所での出来事、それ以前の対独レジスタンス運動を中心にした出来事、著者はこのレジスタンス活動中ゲシュタポに逮捕され収容所に移送されるのだが、また、強制収容所内で囚人達が共産主義者を軸にして結成した秘密結社に著者は参画し、一九四五年四月十一日、ブーヘンヴァルトをナチスの手から解放するのだが、それ以後の現在までの出来事、それらさまざまな出来事の時間・空間がコラージュされて複雑に流れ、うねり、一九九二年、解放されて四十七年後、ふたたびブーヘンヴァルト強制収容所に著者が立ち、死とともに生きた過去の時間が再現され、囚人としてこの世を去った友の幻に挨拶する、こういった場面でこの物語は終わりを迎えるという、やはり、実際に読む他、いかなるロイヤルロードもないだろう。

 ボクは思うのだが、この著者の場合、共産主義者としてドイツやスペインの独裁政権と戦い続ける根本の思想、つまり、人間は本来自由であり平等である、この一足す一は二の如き明らかな事実に立って青春時代から今日までの人生を渡ったのではないかと想像されるのだが、例えば強制収容所について、こう言っている。

 

「生きる苦悶を知るのに、絶滅収容所を知る必要は一つもない」(本書171頁)

 

 こうも言っている。

 

「ぼくは他の者の方が自分よりも生き残るのに値したと考えたなら、自分に罪を感じたかもしれない。だが生き残ることはメリットの問題ではなく、運の問題だった。あるいは、考え方次第では、不運の。」(本書172頁)

 

 とはいえ、著者はこの本を一九九四年に出版しているが、そして彼はその時もう七十歳になっているのだが、この本の原題「書くことか生きることか」のとおり、「書くこと」、すなわち収容所の死の世界に向くことを断念して、忘却して、彼は残された人生を「活力のある生への希求」(本書219頁)を背負って生きんとしたのだろう。それにつけ、一九六四年に、共産主義者として戦い続けてきた彼は、「議論で敗れ、除名されて、外の闇に投げ出された」(本書317頁)とさらっと書いているが、心中余りあるものがあったに違いない。だがボクは思うに、彼の中に存在する「詩」と「スターリン主義」とは水と油ではなかったか。

 かつて「書くことと生きることの選択を強いられ、ぼくは後者を選んだ。生き残るため、ぼくは失語症、故意の健忘症の長い治療を選んだ」(本書236頁)著者は、しかし、ついに「書くこと」を選択する。死の世界を生きたブーヘンヴァルトの自分自身に向き合う。そしてこのような認識に到達する。

 

「書くことは遊びとか賭け以上のものであろうとすると、長く、果てしない苦行、自己を抑制しながら、自己を捨てる方法にすぎない。つまり、ひとがつねにそのようなものとして存在する他者を認め、生んだがゆえに、自己自身になりながら。」(本書347頁)