芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ジャン・アメリーの「罪と罰の彼岸」

 なんとも言いようがない本に手を出してしまった。それでも勇を鼓して読書感想文めいたものを、ボクは書こうと思う。

 取り敢えず、理解しやすいところから、この本の中へ侵入しようではないか、と言って、理解しやすいのかどうか、余り自信はないのだが。

 さて、話は遡るが、正確に言えば一九三五年九月十五日にドイツで「ニュルンベルク法」が施行されて、一九一二年十月三十一日ウィーンで生まれたこの著者は自分が「ユダヤ人」であると初めて認識するに至った。と言うのも、もちろん、ナチス・ドイツが国家権力を掌握した一九三三年に於いては、「非アーリア人」すなわち「ユダヤ人」は、仮令著者のようにユダヤ人の両親から生まれても「第一次大戦に従軍した者、あるいは父や子が大戦で戦死している者」はユダヤ人ではない、そう規定されていた。この本の巻末の年譜に拠れば、著者の父親は一九一七年に大戦で戦死しているため、ナチス・ドイツの規定から言えば、著者はユダヤ人ではなかった。

 しかし、である。しかし、「ニュルンベルク法」成立後、著者はユダヤ人に「なった」。と言うのも、「ユダヤ人」の規定が変更され、先に指摘した第一次世界大戦に従軍した者や父や子が戦死した者の規定は削除され、両親ともにユダヤ人である著者は「ユダヤ人」と規定されるに至ったのだ。ボクの認識に誤りがなければ、この本の前提に、こういう特異な社会の出現があったに違いない。

 著者は、ウィーンで生まれ、その風土に親しみ、家族や友人達とともに生活を楽しみ、自分がユダヤ人であるという意識などなかった。しかし、上述した「ニュルンベルク法」によって著者は自分が「ユダヤ人」であることを強く認識した。言い換えれば、著者が「ユダヤ人」であることは自分自身で決定した事柄ではなく、「社会」が決定したのだった。そして、同時にまた、優良な人種の「アーリア人」すなわち「ドイツ人」に対し「非アーリア人」すなわち「ユダヤ人」は劣等な人種であると「社会」は決定した。言うまでもなく、やがて、「ユダヤ人」は強制収容所で「選別」され、労働能力がある者は強制労働の任務を与えられ、その能力のない者はガス室で大量虐殺・焼却炉で焼却処分された。周知の通り、優良な「ドイツ人」は劣等な「ユダヤ人」をこの世から絶滅せんと、「決定」したのだった。

 

 「罪と罰の彼岸」 ジャン・アメリー著 池内紀訳 みすず書房 2016年10月7日発行

 

 おそらく人間は、適切な概念を駆使して正確な認識によって他人の体験を理解しようとしても、余程のことがない限り、理解不能ではないだろうか。何故ボクがこんな懐疑主義者めいた言葉をわざわざ並べるのかと言えば、少なくとも、この本に出てくる「拷問」や「強制収容所」の記述に関して、何とか理解しようと努力はしてみるが、ボクの手から彼等は離れ、闇の底へ沈んでいく。確かにボクの心には耐えがたい悲痛を残してはゆくのだが。

 著者は「知識人」として、その「知識人」の「精神」が強制収容所の中でいったいどのように変容するのかを、精密に書いている。簡単に言えば、強制収容所の中で「精神」は消滅する。あるいは、別の言葉で言えば、「精神」は飢餓と苛酷な労働の中で、自ら「精神」であることを断念する。つまり、「精神」の積極的な価値は、自らを「断念」する作用にあった。書中で、ヘルダーリンの詩が出てくるが、精神が消滅した著者にとって、それは意味のない言葉の羅列に過ぎず、わずらわしい紙くずに過ぎなかった。ここでは、詩も哲学も一切の精神的営みと言われていたものが消滅するばかりではなく、むしろ、煩わしい存在になった。直接、著者の言葉を聴いてみよう。

 

「アウシュヴィッツでは、すべて精神的なものがゆっくりと二重に新しい形をとっていった。それは心理学上、すこぶる非現実的なものとなる一方で、他方では、社会的な意味合いにおいて定義するかぎり、許されざる贅沢品と化していった」(本書27頁)

 

「いずれにしても一つのことはあきらかだ。餓死と衰弱死に直面し、非精神化にとどまらず、文字どおり非人間化した者たちのもとにあって、精神の有効性など無意味きわまることであった」(本書31頁)

 

 しかし、著者は、この事態を、更に精密に、このように書いている。

 

「強制収容所において精神はさっぱり役立たなかった。それは課せられた困難に直面すると、克服はおろか、さっさと姿を消してしまった。しかしーここで私は本質的な問題点にいきつくのだがー精神は自己放棄のためには役立ったのである。これは見すごしのならないことだ。というのは、精神的な人がまだ肉体的に崩れ去っていないかぎりは、精神の放棄あるいは思考不能に陥ったわけではなかったのだ。思考はめったなことに停止しなかった。だが、一歩ごとに思考の限界にいきついて、みずからで自己放棄した。これまで慣れしたしんできた思考の関係軸が朽ちていた。美とは何か。幻影であった。認識はどうか。それが概念の戯れであることを思い知った。死は至るところにあって、もはや見分けがつかなかった」(本書50~51頁)

 

 この本を読み終わったとき、ボクの脳裏に奇妙な印象がよぎった。ボクのような陋劣な人間ではその印象を描く才に欠けるのだが、敢えて比喩的に語るとすれば、奇妙な読後感、例えば、カフカの作品「変身」および「流刑地にて」を一つの作品として連続して読み終えたような、そんな印象が走るのだった。それにしても、ボクの脳裏は更にしゃべり続けた、それにしても、カフカの作品は「虚構」といっていいが、この著者の作品は、こんな言い方をしたら礼を失する恐れがあるが、言葉の厳密な意味で、まことに無念ではあるが、「現実」だった。

 論より証拠と言えば、更に礼を失するわけであるが、巻末の年譜に拠れば、この本は一九六六年に出版され、ボクが読んだ本は、旧作に若干手を入れた新版で、著者は一九七六年冬に新版へのあとがきを書き、一九七七年に出版している。やはり「現実」というか、言葉を換えれば「原体験」といったありふれた言い回しでも取り敢えずヨシとするのだが、既に言ったとおり、他人の現実というか他人の原体験、取り分けアウシュヴィッツはボクにとって理解不能であると、正直に告白せざるを得ない。現実は認識を超越する。この本がでた翌年、一九七八年十月十六日、睡眠薬で著者は自死している。六十五歳だった。