芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

ベンジャミン・ジェイコブスの「アウシュヴィッツの歯科医」

 一九一九年にポーランドのヴァルテガウ地方のドブラに生まれた著者は、一九四一年から一九四五年に解放されるまで、おおよそ四年間、ユダヤ人だという理由だけで強制収容所を転々する。その間の著者自身が経験した生活をこの書は描いている。

 

 「アウシュヴィッツの歯科医」 ベンジャミン・ジェイコブス著 上田祥士 監訳、向井和美 訳、紀伊國屋書店 2018年12月19日第6刷

 

 まず、ナチスのユダヤ人政策は一九三三年ヒトラーが政権を取ってから社会状況によって変遷していくのだが、著者が強制収容所に収容された頃から、従来よりも苛酷な政策に転換していったようだ。一九四一年の初め、占領地域ヴァルテガウの担当大臣だったアルフレート・ローゼンベルクはポズナン大学でこう演説した。「二五年にわたりドイツ人やポーランド人を苦しめてきたユダヤ人は、血をもってその罪を償わなければならない」(本書65頁)。著者はドブラのゲットーから父親・兄と共に連行され、この時建設されたシュタイネック収容所に収容される。著者は二十一歳だった。

 その後、収容所を転々するのだが、ナチスの戦況悪化に伴ってユダヤ人を絶滅する政策が鮮明になっていく。軍需工場や道路建設など、苛酷な労働が出来ない人間は、基本的にはビルケナウなどのガス室で大量虐殺・焼却処分した。この状況の中で生きる人間を、著者は簡潔にこう描いている。

「飢えは寄生虫のように少しずつ人間の内側を蝕んでいく。なんでもいいから食べたいという思いが極限まで強まると、人はどんなことでもしてしまう。グーテンブルンの収容者たちが、生きるために草を食べていたという噂はほんとうだ。これほどの飢餓状態にあってなお、わずかなりともプライドを持ちつづけるのは難しい」(本書150頁)

  言うまでもなく、著者はその後グーテンブルンからアウシュヴィッツ収容所へ移送され、人間を絶対否定する世界からほとんど奇跡的に生還するのだが、歯科医であったことが収容所で有利な立場に立てた事情があったにせよ、著者の状況に対する正確な判断力と行動力、また、他者に対する愛情の深さなどが大きく影響していたに違いない。例えば、一九四五年に逮捕され死刑を宣告されて絞首刑になったSS上級曹長オットー・モルの歯の治療をして、その見返りに著者の希望を聞き入れた逸話は驚くべきものだ。ユダヤ人を人間と思っていなかったモルが、ユダヤ人の歯科医、つまり著者の治療を受け入れたと言うことは、著者をユダヤ人にもかかわらず愛すべき人間だと、モルはそう思ったのだろう。

 所謂「アウシュヴィッツの文学」といっても、昨年の十一月末からボクは色々読み続けているが、当たり前の話だが、すべての人は一回的で独自の生命としてこの世にやって来たのだから、アウシュヴィッツの経験もそれぞれの著者によってさまざまな陰影を浮かべながら描かれている。命ある間に、ぜひ読んで欲しい。