芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

堀田善衛の「審判」

 この物語は、一九五九年の社会状況の中で、保守的な大学教授とその妻、その子供たち兄弟姉妹四人、その母方の叔父、彼は戦前、中国の戦線で兵士として民間人の老婆を虐殺している、この彼等家族が住んでいる家に、米国からやって来た男、この男は広島や長崎で原爆を落としたパイロットの一員だが、これらの登場人物が中心となって繰りひろげられる高級な知的コメディーである。

 

 「審判」 堀田善衛著 岩波書店 昭和三十八年十月二十八日第一刷発行

 

 一九五九年といえば、六十年安保の前年で、一九四一年十月、東條内閣の時に商工大臣として国家の中枢にいて、戦後山口に帰郷していたところを連合国軍にA級戦犯被疑者として逮捕、一九四八年十二月二十四日、無罪放免されて出所、一九五七年二月二十五日、内閣総理大臣に就任した岸信介が第二次岸内閣を運営していた時期である。この年に特記すべき政治状況として、そして、本書にも若干言及されているが、同年三月三十日、一九五六年の在日米軍立川基地拡張反対運動でデモ隊が基地内に侵入したとして七名が起訴された所謂「砂川事件」を東京地方裁判所は、全員無罪の判決を言い渡した。判決理由として、「日本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、指揮権の有無、出動の義務の有無に関わらず、日本国憲法第9条2項前段によって禁止されている戦力の保持にあたり、違憲である」

 ところが、この判決が翌年の六十年安保継続の妨げになるとして、東京地裁の判決を覆すため、駐日大使ダグラス・マッカーサー2世が時の外務大臣藤山愛一郎に圧力をかけ高等裁判所を経ずに最高裁への跳躍裁判を指示し、また、最高裁判所裁判長田中耕太郎長官自身が、マッカーサー駐日大使に面談、事前に一審判決破棄・差し戻しの判決内容を報告していた。かくて、同年十二月十六日、最高裁判決で、「外国の軍隊は戦力にあたらない。したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない」として東京地裁の判決を破棄、地裁に差し戻した。

 周知のとおり、翌年、岸内閣の下で、五月十九日、新条約案を強行採決。この安保条約に反対する国民運動が盛り上がり、六月十五日、デモ隊が国会に突入して警官隊と衝突、東大生の樺美智子が二十二歳で死亡。政府は暴力団を使ってまで運動を弾圧。六月十八日深夜、岸首相の思惑通り、所謂「新安保条約」は自然成立する。そんな、戦後最大の激動の時代だった。

 話が少し横道にそれてしまった。しかし、おそらく、この本の著者もこの時から六十年近い間日本人を縛り続けている日米地位協定を含めてここはもっとしっかり書いて欲しかったに違いあるまい、ボクはそう信じている。

 この本を読んで、その詳細は直接読んでいただくことにして、著者の幅広い考え方のなかで、この二点だけを指摘して筆をおきたい。

 第一には、この安保闘争は明治の民権自由運動と共鳴するものであり、その歴史的な流れを知ることによって、この運動は継続されるであろう。しかし、そういう歴史的な流れを無視するならば、運動は孤立し、一回的なあだ花として消滅するに違いない。

 第二には、中国や東南アジアで民間人まで虐殺した日本人、広島や長崎で原爆を投下したアメリカ人、彼等の行為は永遠に消すことは出来ない。その行為はやってしまった以上、いかなる宗教・哲学・政治などをもってしても、やっていなかったことには絶対出来ない。その行為によって、人は生きるすべての意味を失った虚無、絶対的なニヒリズムから逃れるすべは、永遠に、ない。彼等は、虚無に、裁かれる。