芦屋芸術|同人誌・現代詩・小説

福田須磨子集「原子野に生きる」

 この著者の文章を読んでいると、人間に対する、それはとりもなおさずこの自分自身に対する、もはや手のほどこしようのない絶望感、治癒不能の虚無感、あえてそうとでもいう他ない黒々とした深淵を、ボクは覚えなくもなかった。

 ふとわれに帰ればしんしんと凍りゆく
   心温めるもの何一つなし(本書74頁)

 この歌に続いて、著者はまたこのようにも歌っている。

 子ら去りし砂場に一つ白き花
   しほれしままに暮れ残りたる(本書74頁)

 福田須磨子集「原子野に生きる」 長崎の証言の会・編 汐文社 1989年4月10日第1刷発行 

 もちろん言うまでもなく、著者は、一九四五年八月九日、長崎に投下された原爆による被爆者であり、平和運動の活動家であり、また、「われなお生きてあり」などを書いた詩人・作家でもある。
 ところで、この著者の黒々とした深淵をもう一歩明るみに出すために、詩集「ひとりごと」から「自己否定」という詩を全行引用してみたい。

 今夜も私の魂がぬけ出て行きます
 ぬけがらになった肉体は
 ぼんやり破れた蚊帳の繕いを眺めます

 わかりません ちっとも分からないのです
 何のために生きているのか?
 何もかも意味をなさないような
 ただ 自己否定ばかりの
 部厚い灰色の壁が立ちふさがるのです

 ウフフ……
 自分の魂からも見捨てられた
 ぬけがらの肉体は笑い出します(本書15~16頁)

 自己否定とは、その文字の通り、この世の自分を否定することであろう。自分から魂がぬけ出て、生きる意味を喪って、この世で生きながら死ぬことであろう。しかし、「死ぬ」といっても、著者の念頭にあるのは、無差別なすべての死一般ではない。原爆投下後、いちめん廃墟の原子野となったナガサキをさまよい、壊滅した自宅の辺りに父の欠けた湯飲み茶碗を発見し、そのガレキの下から、おそらく卓を囲んで団欒していたのであろう、父と母と長姉の白骨を拾いあげた。当時二十三歳だった著者には、それ以後、これが「死」であり、これが「死者の原風景」になる。また、この死につながるナガサキで爆死した人々、その後、原爆症で苦しみながらこの世を去った人々、これが自らも職場で被災して原爆症の生涯を生き抜いた著者にとっての「死」といっても、大過あるまい。
 従って、著者の「死」または「死者」、あるいはこの死からやって来る絶望や虚無は、虚構や観念によって表現されたものではなく、事実の上に表現された死とそれに応答する絶望や虚無としなければならない。この具象性から離れて、著者の絶望も、虚無も、自己否定もない。
 驚いたことに、この著者、福田須磨子の場合、生々しいこの「死者の原風景」の世界が反転して、絶対平和を希求する世界に転化する。さらにすすんで言えば、著者の存在それ自体が、絶対平和を表現していたのではないか。福田須磨子の言葉は、ナガサキの死者から委託された死と絶望と虚無を反転した絶対平和の叫びだった。